「がん」という冒険(75)

記憶というのは不思議だ。

どうでもいいこと、なぜ覚えているのかわからないのに、くっきりと判で押したように記憶に残っていることがある。一方、良きにつけ悪しきにつけ、一生にまたとないことでも、何も覚えていないこともよくある。(少なくとも私は)

たとえば、前者の例をあげると、おそらく中学校の修学旅行。どこへ行ったのかも忘れたが、旅館に宿泊した翌日、◆という女子が、夜、布団に入ってもなかなか眠れなかったのが、神様にお祈りしたら眠れた。それで、「神様はいる」と思った、と。

そして、一年前、自分がどんなふうに医師からがんの宣告を受けたのか、は…

覚えていない。

しかし、ブログには書かれてあった。

「前に検査を行ったのですが、結果が出て、乳がんでした」

ああ、確かにそうだった。前置きもなく、向き合って、いきなりこう言われたのだった。

 

動揺はなかった。

胸のしこりに気づいてから、誰にも話さずに祈り続けた。

今まで色んな目に遭ってきた(聖書ではこれを『砕かれた』という)からか、

胸のしこりが、

良性=◎ 悪性=×

とは思わなくなっていた。検査を受けることに決めてからは、

「どのような結果が出ても、すべてを主の御手から受け取ることができますように」

と、ひたすら祈った。

がん宣告を受けた人が実際、どんな反応をするのか、私はドラマや映画でしか見たことがないからわからない。自分でも一体、どうなるのかは、

がん宣告されたことがないからわからない。

と書いている。

そしてフタを開ければ、

がん宣告されても平安であった。そして、

「信仰があるので死が終わりではないと思っています」と、さっそく、この女医さんにイエス様の売り込みをかけている(笑)

がんの宣告とは、言われるのも嫌だが言う方も嫌なものだろう、と生まれて初めて考えた。医師は、

「一緒に治療していきましょう」

と言ってくれた。若く綺麗な医師は印象もよかった。

「先生を信頼します」

命を預ける、ということである。

「信頼してください」

私の命に責任をもつ、ということである。なかなか言える言葉ではない。

 

それから、これから始まる抗がん剤治療の説明、副作用で髪がなくなるため(ハゲになる)ウィッグが必要とか、医療費が高額になるための「高額医療保険制度」の冊子をもらうなど、新しい人生が始まった。難題が一挙に降りかかってきたにもかかわらず、

なぜか私は、光のなかにいた。

どのように「がん宣告」されたかも忘れていたのだが、もうひとつ、とっておきのことを忘れていた。

がん宣告されたその日。帰宅してから新横浜へ買い物に出た私は、デパ地下で夫に会っている。夫は、ここからそう遠くはない実家を仕事場にしており、そこで生活しているとはいえ、毎日デパ地下通いしているわけはないし、私もそうである。この日、ここで夫に鉢合わせするというのは、全くの偶然というか、神様の仕掛けられた作戦、としか言いようがない。

私としては「参りました」…である。夫に会うのは何日ぶりになるのか、「ちょっと話があります」と言って駅カフェに入り、

「健康が自慢だったのですが、がんになってしまいました」

と告白したのである。普段、おしゃべりな夫の聞き役に回る私が、平然と話し続ける。まったく動じる気配のない私を、夫は「すげぇ」と言った(^。^)y-.。o○