「がん」という冒険(49)
さて、娑婆に帰ってきた。
手術前からドクターに、
退院した翌日から日常生活をした方がいい。カーブスにも行っていい。
と言われていた。手術翌日からリハビリが始まったし、今の医療では「休む」より「動かす」方が治りが早いということらしい。
退院翌日にカーブスは想像できなかったが、退院した私は退院当日、カーブスに行こうとしたのをlineで友人に止められた。
手術した傷の痛みについては入院中、術後に処方された痛み止めを食後に服用した。
痛まない場合には痛んでから服用してもよい、とのことで退院したが退院後、一錠も飲んでいない。多少の痛みはやりすごせた。
入院前までは薬漬け(3週間ごとの抗がん剤治療後はとくに、服用の時間帯も数も形状も違う薬を数種類飲む)といっても過言ではなかったのが、退院後はがんになる前から飲んでいた血圧を下げる薬を一日一錠飲むだけである。
終わった。
がんを告げた人から「闘病」と言われると戸惑った。
私はがんと闘っていない。
「がん=死」――。少なくとも、そのイメージは強い。
しかし、がんと闘うのは抗がん剤で、私ではなかった。いわば、
私はがんと仲良くしていた。
ような気がする。がんを憎んだことがないのである。
一番恐れていた手術が、拍子抜けするほど何事もないどころか、
手術前夜、祈りに包まれて眠る幸せ。
というものを味わったのである。
振り返ってみて、
がんを通して、苦しかったことは何もない。
そんな結論に自分でも驚いた。
苦しみどころか、喜びと感謝の連続だった。その証拠が、このブログである。(ウソだと思う人は最初から読み直してほしい(^。^)y-.。o○)
最初、がんに対する恐れは、もちろん、あった。
だから、(乳がんかどうか)検査の結果が出る日、待合室で私は祈った。
「がんではありませんように」
ではなく、
「どのような結果が出ても、あなた様の御手から受け取ることができますように」
と……。そうして、
私は天国行きの切符を持っている。死は終わりではない。
と思う。見えない切符を握りしめる。それが本当に、私を救ってくれた。それがすべてだと思う。
人は、大抵、肝心な時になると知らん顔をする。死を前にすれば、猶のこと。何とかしたくても、やりようがない。
それが、こんなふうに、私は死の恐怖から救われている。一番肝心な時に、
わたしのところへ来なさい。
と呼んでくださる。これこそ神だと思った。
もし、私が神を知らなかったら…?
私は死に対する恐怖が幼い頃から人一倍強かったから、気がおかしくなっていたかもしれない。
だから、がんになった私は、他人に「がん検診」も「人間ドック」も勧めない。
イエス様と出会ってほしい。
救いはそこにしかない。がんにならなくても。人は死ぬ。
幸い、がんになると、明るくしているだけでイエス様を伝えられるところがある。
そのように、イエス様を伝えられる器として用いていただきたい、と祈る。
すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイの福音書11‐28)
私は決してあなたを見捨てず、決して置き去りにはしない。
(ヘブライ人への手紙13‐5)
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主である主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
(フィリピの信徒への手紙3‐20)
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