祈りのこたえ(4)
というわけで、原点に戻る。
遅刻が続く娘βは、寝る前に主に祈った。
それでも朝、起きられず、
どうして、イエス様に祈ったのに起きられないのか、と涙ながらに私に訴えた。
なかなかに可愛い。
祈りとは、神との交わり(対話)だといわれる。
祈りを通して、我々は主イエス・キリストがどのような方なのかを知ってゆく。
祈りが見事に聞かれる(かなう)こともあれば、真逆の仕打ちを受けることもある。
どうして、こんなことが!?と思うことがあっても、後になれば理由がわかることもある。
例えば、自分の思う最善と、神の最善は違う。
自分の最善は愚かで、浅はかで、その場しのぎ、神の最善は永遠不滅…。
そういうことが、信仰10年目にしてぼちぼち、わかるようになった。
ところで、βはその数日後、朝、起きられるようになった。
私が起こそうとすると「起きてるよ」と言う。
「最近、朝、起きてるじゃない」
と言うと、
「まあね」
「祈ってるの?」
「まあまあかな」
「イエス様に感謝じゃない」
すると、
「私の努力は?」
結局、これである。
ちなみに、私も「主がβを起こしてください」と祈った。
まあよい。
「βは(α=姉と違って)イエス様信じてるんでしょ?」
と言ったら、
「ほぼほぼね」
「………………」
まあよい。