明け渡す(3)

我が家はあまり冷房を使わない。夜も冷房なしで眠る。

私は氷枕にサーキュレータを回して寝るが、浅い眠りで目覚めるたびに「ハーベストタイム」で中川健一牧師のメッセージを聴く。(眠っても眠れなくても吉)

そうして、大学夏休み中の娘βはといえば、

扇風機もろくに使わず、真夏の日光をさんさんと浴びながら、近所で工事中の騒音まであるのに、

寝続けている。

部活でしごかれて…ならまだわかるが、部活どころか家を出ることもあまりない。これも若さなのだろう。

色々と問題のある娘だが、主に明け渡し、私は大概のことに目をつぶろう、と決めた。

何度も書くが、高校の卒業式でさえ寝坊して朝食を食べられず、空腹のあまり卒業祝いの紅白饅頭を(担任の許可を得て)食べた…という逸話を残したβが、忘れもしない4月20日、大学の講義がスタートするという朝、見事に起きて、それから連日、大学に自分で起きて通い続けたのである。

βの大学生活は私には手も足も出ず、主に明け渡した。

明け渡す…というのは、この世的には「建物・土地・城などを立ちのいて人に渡す」とある。聖書的には「自分の思いを捨て、主イエスが最善を成してくださることを信頼してお任せする」ということ。

これは、なかなかに出来るようで出来ない。やろうとしてやれることではない。

信仰の原点は「ギブアップ」(お手上げ・私にはムリ)である。神様、助けてください、と神を求める。逆に、「やれば出来る。なんとかなる」では神は必要でないし、神もそのような人を救おうとはなさらない。従って、病や事故、災難、裏切り、ピンチ…は、神と出会えるチャンスなのである。

そうして私は、βについてお手上げの連発で、その度に祈り、主に取りすがった。そうして…娘βの大学生活も守られた。

その結果、βの夏休みを主に明け渡すことが出来たのである。

眠れないことを思えば眠れることは恵み。

主はβの頭のなかもご存じ。βは頭のなかで難しい哲学を考えているのかもしれない。

…などと考えた。

ちなみに、βは私よりも遥かにIQも高く、地頭はよいのである。(だから大学も受かった)

がしかし……それも一ヵ月以上続くと、

まるで寝たきり老人。

といったら「老人」に失礼な気がした。

9月15日で19歳になった。

「寝たきり19歳」

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

悩んだ挙句、15日は近所のイタリアンで家族4人でランチを予約した。

βを起こすのに三苦労、4人で祝えたのはよかったが、帰宅すると、

「眠い~」

と夕方まで寝た。

さて、来週から大学の後期授業が始まる。

「寝たきり19歳」が大学生活に切り替えることが出来るのか…?

もちろん祈ってはいるが…。

主にお任せである。