追悼 桂歌丸(4)

死因となった『慢性閉塞性肺疾患』 は主にタバコが原因の別名タバコ病と呼ばれているらしい。
喫煙や受動喫煙によって発病する病気で、世界では年間300万人が『慢性閉塞性肺疾患』で死亡しているそうで世界における死因の6%を占めているという。

歌丸師匠自身も長年のヘビースモーカーで1日に60本は吸っていたという噂もある。
師匠の4歳年上の妻・冨士子さんは、高座や大喜利の場でたびたび”恐妻家”として話題になることがある人物。
師匠21歳、富士子さん25歳の時に結婚。
2人は幼馴染で、駆け出しの噺家との結婚に猛反対された富士子は、
噺家としてのあの人に賭けてみる」
と周囲を説得したらしい。(周囲は納得したのか?)
しかし、結婚した翌年、歌丸師匠は師匠との関係がこじれ、師匠の元を飛び出すことに。
それからは生活のため、二人でポーラ化粧品の販売をしたり、師匠はメッキ屋で働いたこともあったとか。

その後の長きに渡り、富士子夫人は、内助の功歌丸師匠を支え続けた。
「亡くなった2日の明け方、危篤だと呼ばれて病院に行きました。すると、まだ息子たちもいない二人きりのときに『迷惑をかけたな』と言ったんです……。そんなバカなこと言わなくていいのと私は怒ったんですが、『いろいろ迷惑をかけて、ごめんね』と謝るのよ。謝らなくていいと言ったら『苦労をかけた』と最後に言いました。だからね、私も『そんなこと言わなくていい。わかってるから』と答えました」
見事な夫婦愛である。
「ひ孫が『じいじ、じいじ』と声をかけながら、あの人の手を握ろうとしたんです。手を出すので私が握ろうとしたら、横に振って『私じゃない』って(笑)。するとお父さんは喜んで手を動かして、そうしたらそのまま……。肩で息をしていたのにだんだん止まって、息もス―ッとなっていって……。ひ孫が握っているのがちゃんとわかっていたんでしょうね」
笑点で毎週死亡ネタ・ハゲネタなどで師匠を罵倒しまくった6代目圓楽だが、歌丸の悪口ネタを円楽に薦めたのは歌丸師匠自身だったとう。
「俺のキャラをそういうふうに作ってくれて、歌丸ディスるシリーズが出来た」

6代目圓楽歌丸であるが、笑点を離れれば6代目圓楽歌丸に稽古をつけてもらったり、二人会を行い、国内外で共演をするなど関係は非常に良好であったという。
師匠が入院する度、一番に見舞いに行き、
「自分には3人の父親がおり、1人目は実父、2人目は5代目圓楽、3人目に桂歌丸
見事な師弟愛である。
横浜で生まれ、戦時下の疎開先以外は横浜で過ごした歌丸師匠。
7月11日横浜、妙蓮寺で行われた告別式、歌舞伎俳優の中村吉右衛門が友人を代表して最後の挨拶をした。

途中、涙で言葉を詰まらせながら、「落語を遺し、そして落語のお客様を遺し、やるべきことをすべてやりつくして旅立たれました。言ってみれば独り勝ちみたいなもの」と師匠の人生を評し、
「師匠、勝ち逃げはずるいよ」