AV監督にしくん(2)

「にしくん」「にし君」ではなく「にしくん」本名は「西」、「にし」には、

西=日没で死の意味
二死で二度死ぬ
にし=24(一日は24時間を死ぬ気で生きる)
の意味を込めたらしい。
1993年、生まれた時は大きかった。3歳の時に脳腫瘍(小児ガン)を発病、手術して完治するも後遺症は残る。
「どうにか外科手術は無事に終わった。手術が終わり、身体が動けるようになったのを久々に見た時の、両親の喜び、泣いて、驚き、笑った瞬間は今でも鮮明に覚えている」
喜びも束の間、2年後の6歳の時に「ムコ多糖症4型モルキオ病」にかかり、身長が伸びなくなる。
これは日本に30〜50人くらいしかいない難病だが、妹も同じ病気になる。
兄妹でテレビ局の取材を受け、2008年4月8日TBS系放映「難病と闘う子供たち! 私たちはこんな病気と闘っています4」で紹介された。
幼い子供2人が難病とは、若い両親の苦しみはいかほどか。おそらく、「穏やかな家庭環境」とはいくまい。
ようやく物心ついたような6歳で、何という人生だろう。「骨が伸びなくて、骨が変形して、歩けなくなったり、目が見えなくなったり、耳が聞こえなくなったり、人工呼吸器を付ける必要が出て来たり、車椅子にはなるし、寝たきりになるかもしれない。20歳まで生きられるだろうか。ざっくりそんな病気だと幼いながらに理解した」
幼いにしくんにとって、「死」はすぐ近くにあった。不吉なものではなかった。

「生きると死ぬは表裏一体。だから生きることを充実させるには死と向き合うべきなのではないだろうか」
「死」には、肉体の「死」と、死後に人から忘れ去られる「死」の二つがある、と知った時、
「長生きすることはまずないだろうと思っていたぼくは希望を持った。世界に名をとどろかせよう。そしたら一度目の死はいつでもいい。でも、名声を得るまでは死ねない」
死ぬかもしれない大病を二度したこともあり、にし=二死。「父の『出来ないことがある分、ものすごく出来ることを作って補えばいい』という教えから、勉強を少しはしていたが、人と違うことをしたい性格で学校の勉強は授業を聞くだけでノートも取らず予習復習もせず、自分勝手に授業外(小学生の頃に数学勉強、漢字テスト前に難読漢字の本を読むなど)をして、ズレていた。クラスで友達と馴染むのも苦手。あとはゲームばかりで家と学校の行き来のみ」
中高一貫進学校へ入り、物理学者目指して東大を目指す。
「15歳の春、高校生活は全て勉強に注ぎ、東大に行こうと思っていた。そこで、本格的に勉強する前に、外の世界が見たくなった。足が悪いぼくは、一人でコンビニに行くことすらハードルが高かった。逆に言えば、どこに行くのも大変なぼくには、行く場所によるハードルの違いは大きな差ではなかった」

十代の思春期、にしくんが中学に通うことだけでも凄いことだと思う。それを、東大目指して勉強に励んでいたのだから、強靭な精神力である。そしてこの冒険が、にしくんの人生を変えることになる。
「歌舞伎町のライブハウスのようなところで、運営も客も高校生だけれどお酒が出てタバコの煙がすごい。男子校進学校の障害者にとっては完全に場違いだった。入った瞬間出たくなった。そしたら、『きゃー!かわいい!』派手な髪に、大胆に開いて見える胸の谷間にいい匂い。そんな女性がいきなり抱きついて来てかわいいと言って来た。人としての魅力がなく、勉強でカバーしようとしていたぼくの頭のネジは壊れた」
そうして、にしくんは考えた。
「数学が好きで、物理学に興味があったから。というのもあるが、自分に人間としての価値を見出せず、将来身体がどこまで動くかの不安もあり、頭さえ動けば生きていけて、現実逃避のように楽しめるという理由で将来の夢にした物理学者という選択肢は、はたして正解なのだろうか。たった15年という家と学校と病院だけの生活しかして来なかった人間が、この先の大人の人生、もしかしたら1年ないかもしれないけど、なんだかんだまた奇跡起こしてあと100年近く生きるかもしれない先を諦めて決めつけて良いのだろうか」15歳とは信じられない思慮の深さ、である。情報量の多さなのか社会が甘やかすのか、自分で物を考えない若者が多い。にしくんは、15歳で究極の視点に立って自分を見つめ、人生と向き合った。
「ずっと引きこもってたので爆発力があった。高校時代。渋谷のギャルサーと遊び、イベント団体に所属し、東大の学生団体に行き、区の委員会活動、経営者の話を聞きに行き、気になった人にはメールして会いに行く。大学ではなく、高1の頃からしていた。16、17歳で低身長のぼくは、どこへ行っても覚えられるし、面白がられる。人に会うということはものすごく勉強になった。その代償に、学校では授業中寝てばかりになり、数学は最高時から偏差値30落ちるほどバカになっていた」
まさに爆発である。障害にも色々あるが、高校生で身長109センチというのはひと目で(障害と)わかる。それを逆手に取って戦力にしたのである。
「勉強は将来の可能性を広げるというけれど、広げたぶん薄くなり、どれも中途半端で逆にダメにならないか?就職するのでなければ学歴なんていらない。周りは全員受験、大学進学する環境だったので、とりあえず勉強と受験はした。けれど、身が入らず落ち、浪人するつもりはさらさらなかった。海外にでも行って生き方を模索したいと思ったけれど、親には反対されるし、お金もない。高校卒業後はニートになることにした」

ニート」とは言っても、早く家を出たかったにしくん。
「片っ端からお金を稼ぐ方法を模索した。10代の頃は、社会人の集まる場のどこに行ってもだいたい最年少になる。最年少特権というのは、可愛がられて、奢ってもらえて、良いことづくしだ。だから、片っ端から人に会って勉強した」そんな出会いの中でエンジニアになり、IT企業(後に上場)の正社員になる。副業禁止だったがアンテナ張り巡らして活動し、偶然上手く転がっていったのが性の業界だったという。
「障害者と性は尚更タブー視される。しかし、障害があったって人間だ。だったら、自分がこの世界を切り開くのは面白いんじゃないか。草食系社会の現代、僕が性を表現したら障害者以前に、あらゆる人を奮い立たせるかもしれない。間違いなく、人々が考えさせられる機会を作ることになる。富、名声、力も手に入る。生き甲斐になりうる。これはぼくにしか出来ない。やるしかない」
「富、名声、力」を手に入れることは、死後に人から忘れ去られる「二度目の死」を免れることでもある。座右の銘「最高の死を迎えるために、今を全力で生きる」
この小さな身体に、ダイナマイトのようなエネルギーを秘めたにしくん。頭がいい上に、賢い。
今後のにしくんの活躍に期待したい。