小1の日記(2)

特に何があったわけでもないようなんですね。
小1の土曜日、半日授業で帰宅して昼ごはん食べて、自転車に乗って算数の勉強をして、晩御飯を食べて「巨人の星」を見て居間で寝転んでいた。
父親が「元気がない」と言ったそうで、
わたしはしぬのが、こわいとおもっていた。
と、いきなり来ました。
そして「キイハンター」をみた。
土曜9時からやってた千葉真一主演のアクションドラマですね。
そしておかあさんがどうしたのといった。
キイハンター」見てから、様子がおかしかったのでしょうか。
わたしはだまってた。
わたしはしぬのがこわかった。
おかあさんはみかんがたべたいのといった。
確かに私はみかんが好きで、箱で買ってたみかんを食べすぎて手に黄疸(おうだん)が出ていました。
わたしはんんといった。
「ううん(否定)」と言ったのでしょう。
ほんならねむたいのといった。
んんといった。
ほんならだれかにいじめられたのといった。
んんといった。
優しい母親ではなかったけれど、ここまで心配してくれるというのは、よほど切羽つまった顔をしていたのでしょうか。
ほんならどうしたのといったらんんといった。
なんにもないのといったらんんといった。
おかあさんにいわれないのやったらねてきなさいといった。
「しぬのがこわい」と言えずに、「んん」を言い続けたのですね。
そして、「ねてきなさい」と言われた私は、堪えていた思いがはち切れたのでしょうか。
わたしはものすごくないた。
と、土曜の夜、ものすごく泣き出した娘に母親は、
なくねやったらおくじょうでないてきなさいといった。
そういう母でした。
わたしはにかいにいっておくじょうでないた。おとうとはもうねていた。
わたしはふとんのなかにはいってねた。
土曜の夜、死ぬのが怖くて屋上で泣いたことなど記憶にありませんが…。
ちょっと不思議な日記ですよね。
「しぬのがこわい」とわかっているのに、それを母親に言えない児童心理。
母親に言ったところで、母親が困惑するだけだとわかってるんですね。
で、仕方なく屋上で一人泣いてる7歳の私…。
なんて健気(けなげ)なんでしょう。
と思ってしまいました。
親しい人を喪ったからというのではなく、死への観念、死への恐怖…は幼い頃からありました。
生あるものに生まれたくなかった、と思いました。
幼い娘達に「死にたくない」と言われ、返す言葉がなかったこともあります。
エス様を知ってからは、理屈抜きに「死への恐怖」からは解放されました。
娘達も、「死にたくない」と言わなくなりました。
その辺のことについては次回に…。