笹本先生に会う(2)

成城石井で生ハムとチーズを買って、教えられた鎌倉のホームを訪ねた。
高級老人ホームのようだが、「食事がまずい」らしい。

「美味しいものを少しだけ」食べるのをモットーにされてる先生、赤ワインは毎日、飲まれてるそうで、差し入れのリクエストが、
ワインに合うもの。
で、生ハムとチーズとなった。職員に案内されて個室を訪ねると、車椅子の先生が笑顔で迎えてくださる。
一昨年、自宅マンションで転倒し、骨折した先生は、車椅子でリハビリ中である。便りのやりとりはあっても、会うのは何年ぶりになるのか。身内のような感覚ではいるが、今や「国の宝」となられたので、祈るだけだった。
電話の声は信じられないくらい明るく、以前と変わらないご様子だったが、実際にお会いしてみると、(車椅子以外)変わらんやんけ。
美味しいものを食べたい。
自分の足で歩いて写真を撮りたい。101歳で車椅子になっても、その前向きな姿勢は変わらない。やっぱり、この人は、化け物…否、奇跡の人である。今回の骨折については、『好奇心ガール、いま101歳』(小学館文庫)に書かれているので公開しよう。
一昨年(2014年)11月27日、第43回ベストドレッサー賞の表彰式に出席した先生。その翌日、友人が訪れ帰ってから洗い物をしようとキッチンに行こうとして、足が滑って転び、立ち上がって歩こうとしてまた転倒。先生はマンションに一人暮らし。床に転がったまま昏睡状態。
翌29日は土曜、午後2時に仕事の打ち合わせあり。男性2人がマンションを訪れる。ブザーを鳴らすも返答なし。見ればドアポストに朝刊がささったまま。これはおかしい。
と、同じマンションに住む先生の友人を訪ね事情を話したところ、やはりおかしい、ということで、近所に住む甥に電話。
甥家族が駆けつけ、合鍵で玄関の鍵は開いたものの、リビングの鍵が締まっている。ドアを叩いても反応なし。
甥が小学校3年の息子を肩車して、ドアの上の隙間から中を覗かせたところ、
「おばあちゃんの足が見える」一同、「………………」である
ドアの一部がガラスになっており、そこを割って鍵を開け、倒れてから約22時間後、ようやく先生は発見される。
救急車で救急病院へ搬送、検査結果は右大腿骨と左手首骨折。

まるで2時間ドラマである。
土曜にもかかわらず、打ち合わせが入っていた。
土曜だったから、甥が合鍵もって駆けつけられた。これをただ、「運がよかった」「強運」と片付けてしまっていいのだろうか?このブログに何度も書いたが、私の父がくも膜下出血で倒れたのが日曜。弟と確定申告に行くことになっており、弟が発見してくれた。先生のことを祈っていたお蔭だと、神に感謝せずにはいられなかった。
また、これも本に書かれているので公開するが、倒れた先生、三越で買った高級な下着(ガードル)の新品を身につけておられた。検査の際、ハサミで切られてしまうのだが、これは、「ベストドレッサー賞」授賞式のための装着だったのではないか、と思うのだが…。(自分が小汚い下着を平気で着ていることもあるが)神の配慮には敬服した。また、22時間の昏睡状態で搬送され、半身麻酔で手術。術後1週間はうつらうつら…。「このまま意識が戻らないのでは」「戻ってもぼけているのでは」
…内心、誰もが心配するだろう。なにせ、101歳。何もなくてもぼけてない、のが奇跡とも言える。ところが、
意識が戻った途端、先生の頭は活発に働き出した。九死に一生を得た後、先生はリハビリに励む。そうして、昨年2月には車椅子で徹子の部屋に出演。ところが…
収録の翌日、リハビリ施設のベッドの端に腰かけて書類を読んでいたところ、お尻がズルズルッと滑り落ち、床に尻餅をつき立ち上がれなくなる。
そして、
左大腿骨骨折で手術。頑張っていたリハビリも、また一から…。
床に滑り落ちた時に、それほどの衝撃はなかったそう。100年も使うと、骨自体がもろくなるらしい。

施設のベッドから滑り落ちて骨折、というのだから、
(生きているのに)もはや限界。
と誰しも思うのではないか?
苦しいリハビリを始めたところで、いつまた骨折するかわからない。
それでも
頭がまだ使えるのなら、使い放題、使い切りたい。
脚がまだ使えるのなら、歩けるだけ歩き続けたい。しばらくの安静の後、先生はリハビリを再開し、3月にこのホームに移られた。
一体、この気力はどこから沸いてくるのだろう…?