「誕生死」(2)

「妊娠は病気ではない」
一般には妊婦を安心させるために使われる、この言葉。でも、とんでもないことらしいです。
「病気でないからこわい」
こういう時にはこれ、という薬もマニュアルもない。流産も死産も原因不明が多く、ある日突然、心音が止まった、超音波に異常が見られた…ということも少なくない。
「妊娠」って、新しい人間が誕生することですから、それこそ「医学」を超えた神秘の世界。「病気」どころじゃない。「妊娠」に関わるトラブル、アクシデント…は限りなく、壮絶なつわりで胃液や血まで吐いて、入院して24時間点滴…なんてこともあるのですから。
思うに…。
妊娠=おめでた
の部分は、やたら強調されるけれど、トラブルやリスク…の部分には、幕を張る。
(あるのは知ってるけど)見て見ぬフリ…。
知ってますか?
妊娠22週未満に妊娠の継続ができなくなった状態を「流産」といい、妊娠12週以降に死児を出産した場合を「死産」と言います。
妊娠12週(4ヶ月)以降の中絶・流産・死産…は、陣痛促進剤で陣痛を促して、出産と同じようにして胎児を体外に出します。12週未満なら簡単な処置ですむのが、入院して死児を火葬にして「死産届」を提出しなければなりません。
妊娠22週が境界になっているのは、それが、赤ちゃんが外界で生きられる最低ラインの時期とされているからです。妊娠22週以降の「中絶」は法的に認められていません。
この情報だけで、「妊娠」「出産」「誕生」に対する意識が変わると思います。
「誕生死」
流産・死産・新生児死で我が子を亡くされた方々の手記です。
お腹の中で我が子が死に、陣痛促進剤で陣痛を促して、出産と同じようにして死児を産み出す。
産声も「おめでとう」の声もないお産…。
精神的にもボロボロな上に、地獄のような拷問が待っている。
そして、この日は…
我が子の「誕生日」が「命日」になる。まさに「誕生死」
凄いドラマ…。
医師から「我が子」の死を宣告され、
産声の聞けないお産をして、
それから、
火葬される「我が子」との別れ…
何を考える気力もないところへ、「(亡くなった)赤ちゃんと対面されますか?」なんて聞かれて、それも火葬まで時間もなく、心の準備どころではない。
容赦ない悲劇の連続です。死産で苦しんでる隣りで、陣痛の声が聞こえて、元気な産声上げて赤ちゃんが誕生する…という話もありました。産科と言えば「赤ちゃんが誕生する」と思いがちですが、逆もあるんですよね。
小さなお棺に納められた赤ちゃんは、ピンクの洋服と帽子、お花に囲まれ胸で両手を組み合わせ、まるで天使のよう…
という表現がありました。
棺に入った赤ちゃんが、この本では随分、書かれています。「自分にそっくり」だとか「100人並んでてもすぐわかる」とか…。
火葬場で焼かれる煙を見ながら、
「赤ちゃん、小さいから煙があれだけしか出ないんだね」
なんて台詞…。骨は薄い花びらのようだそうです。
この「(亡くなった)赤ちゃんとの対面」も、「脳裏に焼き付くからやめた方がいい」という看護師さんもいたそうです。その時は従ったけれど、とても後悔したと。
「自分の子どもの姿を脳裏に焼き付けるのが、どうしていけないのか?」
ようやく自宅に戻って来ても…
用意してあったベビー用品が待ちかまえている。
赤ちゃんはいないのに、母乳が出る。
一人で「一ヶ月検診」に行かなければならない。
「早く忘れて元気になってね」「若いんだから、すぐまた出来るわよ」…と慰められる。
話を聞いてくれる相手がいない。
シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
この本を読んで感じたこと。
妊娠とは、厳粛なセレモニーである。
おめでたいだけではない。