「がん」という冒険(86)
一昨年、がんになった年の年末、
せっかく「がん」になったのだから。
それを個人的に付き合いのある友人に年賀状で知らせ、ブログも読んでもらおう、と思ったわけである。
結婚や出産なら、当然のように年賀状に書く。そういう意味で年賀状に「がん」の報告をするなど非常識で不謹慎かもしれない。受け取った側も動揺するだろう。
しかし、今年、受け取った年賀状には「ブログ、楽しく読んでいます」「いつもブログを見ていて、(私を)身近に感じます」…というようなことが書かれてあった。嬉しかった。
今や「2人に1人ががんになり、3人に1人ががんで死ぬ」といわれる。本人を抜きにしても、家族や身内、周囲…に誰一人、がんの人はいない、という方が少ないのではなかろうか。まして、学生時代からの友人なら同じ年のはずだから、私の発がんは他人事ではないだろう。そういうなかで、友人にこのブログを読んでもらい、安心したり面白がってもらえるのは、私がこのブログを書く目的のひとつでもある。
そういうことを考えてみても、やはり私は、
がんになってよかった、のだなぁ。
と思う。
去年の暮れに書きたかったのだが、年末に発表される「今年の漢字」。去年は「戦」だったが、自分の場合は何だろうと思い巡らしたところ、
「満」
が浮かんだ。
抗がん剤治療受けながら娘αの大学受験、娘βの入寮、乳がん手術、放射線治療、娘達の前撮り(成人式の振袖撮影)準備と本番……。着付けを習い始め、95歳一人暮らしの★姉妹を見舞った。
αの大学受験ひとつとっても、なかなかに大変であった。2022・2・14~3・14に『入試』というタイトルで10回更新しているほどである。
今、αが通う◇女子大には、私は「合格してほしくない」と思っていたが、その合格を金曜祈り会の席でαから報告受けたのも、随分昔のような気がする。結果としては、αには◇女子大が合っていたのだと思えるし、他の大学だったなら、αは大学に行こうともせず引きこもりになっていたかもしれないと怖ろしくなる。
βの入寮は、βと夫の間で慌ただしく決まった。およそ、集団生活にそぐわないβは、寮から追い出されるまではいかなくとも苦情は覚悟していたし、寮の規則や人間関係のわずらわしさなどから、こちらへ逃げ出してくるものと思っていた。それが、こちら(実家)には寄りつこうともしない。αを寮に送り出す時に、
「帰る家はないと思いなさいよ」
と言おうと思ったのだが言わなかった。言わなくてよかった、とよく思う。
そんなふうに、すべてが想像を絶するかたちでうまくいった。手術も不安というのではなかったものの、覚悟はした。手術前夜は眠れるだろうか、とも思った。そうしたら、以下、ブログ(44)に
心地よい羽根布団のような、祈りに包まれて眠る幸せ。
を感じていた。手術前夜に「幸せを感じる」など、ありえないはずが、感じるのだから仕方ない。そうして、入院中の主にある兄弟姉妹が、
祈られているのを感じる。
といわれるのを聞いたことを思い出した。
これが、きっと、そういうことなのだろう。
そんなわけで、手術前夜、私はなぜだか幸せだったのである。
とある。
また、人生に限りがある、と実感したからか、
遊べるうちに遊んどこ。
という気になり、それまで気になっていたことにトライするようになった。
入りたい店、行きたい場所、食べたいもの、読みたい本、やってみたいこと…
そのうちに……
で片付けていたことを行動に移す。
「そのうちに」が無意識の習慣になり、自分の人生は首までどっぷり「そのうちに」にはまっていた気がする。
「そのうちに」で片付けていたことを、ひとつずつつぶしていきたい。そういう意味で、今年の抱負は
遊ぶ。
とした。
よく遊び、よく学べ。
である。
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