ブラックパワー・サリュート(1)

ブラックパワー・サリュートという言葉をご存知の方、どれくらいおられるのだろう。
私のように、先週放送の木曜8時、フジテレビ「アンビリバボー」で知った方、どれくらいおられるだろう。
この番組は、娘達と毎週、楽しみに見ている番組だが、先週のこれは、
オリンピック史上最も有名な写真★知られざる真実

いつになく社会的・歴史的なテーマを扱い、その上、
キリスト教信仰が色濃く反映されていて、思わず身を乗り出してしまった。一応、クリスチャンを名乗っているが、この放送を見て、
信仰というものがいかなるものか。ということを鮮やかに見せられ、私のは、全く、信仰でないな。
と思い知らされた。
その反省も込めて、「ブラックパワー・サリュート」について、少し調べてみた。
調べるほどに感動し、あまりに感動したので、(不勉強で)非常に僭越ではあるが、「アンビリバボー」を参考に、更新させていただく。
ブラックパワー・サリュートは、1968年のメキシコオリンピックで行われた、近代オリンピックの歴史上、最も有名な政治行為とされる。1968年10月17日夕刻、メダル授与のために表彰台に上がった2人のアフリカ系アメリカ人(=黒人)が歴史に残るある行為をした。
男子200メートル争を世界記録で優勝したトミー・スミスと3位に輝いたジョン・カーロスが、アメリカ合衆国国歌が流れ星条旗が掲揚される間、壇上で首を垂れ、黒い手袋をはめた拳を空へと突き上げた。
2人は黒人の貧困を象徴するため、シューズを履かず黒いソックスを履き、スミスは黒人のプライドを象徴する黒いスカーフを首に巻き、カーロスは白人至上主義団体によるリンチを受けた人々を祈念するロザリオをつけていた。
黒人差別に抗議する示威行為である。
この背景には、アメリカで(今も人種差別は深刻な問題ではあるが、それとは比較にならないくらい)人種差別の嵐が吹きまくり、人種差別運動の中心人物であり、黒人の精神的支柱であったキング牧師の暗殺(メキシコオリンピックの半年前)も影響していた。
当時、オリンピック短距離走で圧倒的に強かった黒人アスリート達は、メキシコオリンピックのボイコットを検討。
横行する差別は棚上げに、メダル獲得の為だけに黒人選手を「アメリカ人」としてオリンピックに送り込むアメリカ社会に抗議する意志を示そうとしたが、逆に、スポーツの政治利用を禁じるオリンピック精神に反すると国際的な批判を浴びた。
選手達の意見が別れる中、スミスとカーロスは出場することを決めた。ある覚悟を胸に。それは…金メダルと銀メダル取って、国のヒーローになって、大金持ちなって、今までの恨みつらみ、晴らしたるで!!!
ヾ(≧▽≦)ノヾ(≧▽≦)ノヾ(≧▽≦)ノヾ(≧▽≦)ノヾ(≧▽≦)ノとは真逆のものであった。そして、200メートル走でスミスに次ぐ2位で同じ表彰台に上った白人、彼の名は、ピーター・ノーマン。
彼がいかにして、「ブラックパワー・サリュート」に共鳴し、試練と報いを受けたか…。「アンビリバボー」は彼の足跡を辿っている。
ノーマンの母国、オーストラリアでも黒人は差別、迫害を受けていた。しかし、敬虔なクリスチャンであったノーマンの両親は、決して黒人を差別することなく、人間は皆、平等であることをノーマンに言い聞かせた。そんなノーマンは貧しい暮らしの中、走ることで頭角を表し、遂にオリンピック代表に選ばれる。しかし、表彰台はアメリカ勢(黒人)が独占するものと予想され、予選に残るかどうかも期待されていなかった。それが、いきなり予選でオリンピック記録更新。決勝の前日練習、ノーマンはスミスとカーロスに話しかけ、親しく打ち解け合った。どちらも有力なメダル候補である。アメリカの黒人選手にとって、このメキシコオリンピックが特別な意味をもつことを、ノーマンが知らないわけはない。
ノーマンは明らかな覚悟をもって、2人に話しかけたに違いないと思う。ノーマンは問われる。
「あんたは人権を尊重するか? オレら2人は表彰台に立ったら…アレをやってやるつもりだ。あんたはもし表彰台に立ったら、どうする?」
決勝レース終了直後、銀メダルを獲得したノーマンはスミス(金メダル)とカーロス(銅メダル)に
「人権を信じるか」
と尋ねられ、ノーマンが
「信じている」
と答えると、2人は彼に
「神を信じるか」
と尋ね、この質問にもノーマンは
「強く信じている」
と答えた。そして、その次にノーマンが口にしたことを2人はいつまでも忘れることはないと言う。

「僕も君たちと一緒に立つ」