ブラックパワー・サリュート(3)

時代は流れ、アメリカの人種差別が撤廃されると、スミスとカーロスは人権のために戦った英雄になる。
カリフォルニア州にある彼らの母校に、あの表彰台の彫像が作られ、除幕式にはオーストラリアからピーターも招かれた。
しかし、2位の場所にピーター自身の像はない。 そこには、彼の強い願いが込められていた。
あの像を見た人に、
そこに是非立って自分ならどうするか?
考えて欲しいと。
台座には、こう刻まれている。
「take a stand」
この言葉には2つの意味が込められている。 1つは「ここに立ってみて下さい」。 そしてもう1つは「自分が信じたことのために立ち上がりなさい」。
なんという謙虚さ、強靭な意志であろうか?スミスとカーロスに比べ、ノーマンはスポーツ界引退後は体育教師や肉屋など、職を転々とし、社会から無視されていた。
うつ病やアル中にもなったという。人生を棒に振った、という言い方もできるだろう。
私なら、信仰があっても、ノーマンの真似はできない。しかし、ノーマンは、「あんなことさえしなければ…」などと後悔しなかったのだ。逆にもし、あの時、ノーマンが知らぬ顔をして表彰台に立ち、オーストラリアのヒーローとして華々しい人生を送っていたとしたら…。例え、豊かな生活を送っているにせよ、精神的には満たされず、自分を責め続けたのではないか?
「アンビリバボー」は、ノーマンの甥のマットの視点で再現ドラマが始まる。
マットはこの叔父が大好きで、オリンピックの時の話をよく聞いた。しかし、オリンピックで銀メダルを取った筈なのに、誰もピーター・ノーマンを知らない。
そんなマットの疑問に、ノーマンが答える。
話を聞き終えたマットが、「おじさん、後悔していないの?」「確かにオレは得るはずだった色んなものを失ったのかもしれない。でもな、自分の信念を貫き通せた。そのことを母さんやマット、アメリカのジョンとトミーも分かってくれている。それで十分だ」しかし、このノーマンの勇猛果敢な行為は報われることなく、そのまま永遠に葬り去られるかに見えた。ノーマンは体調も優れず病床にあった。
メキシコオリンピックから33年が過ぎたこの年、1人の人物がピーターの名誉を回復する為、立ち上がる。
それは、フリーの映像作家となった甥のマット。
マットは叔父が払った代償、叔父の勇気ある行動を伝えたいと思うようになっていた。それができるのは自分以外にいない。
しかし、忘れ去られた銀メダリストの映画に興味を持つ製作会社など、どこにもなかった。映画製作には時間も金もかかった。
そして、製作開始から5年近くたった2008年、ノーマンは 心臓発作で突然この世を去る。64歳。出棺の時、棺に付き添ったのはカーロスとスイスだった。 2人は急遽、アメリカから駆けつけた。
「私たちは素晴らしい戦友をなくした」とカーロス。
「ピーターは道しるべだ。表彰式のあの行為は後世への遺産だ。誇りを持ち、信じていればきっと報われる」
とスミス。
ピーターの死から2年後、マット・ノーマン監督のドキュメンタリー映画が完成。オーストラリアで公開された。 「敬礼」を意味する「サリュート」と題された映画は、当初、15館の公開だったにも関わらず、口コミで評判が広がり、 最終的にアメリカをはじめ、世界6カ国で上映された。その上、オーストラリアの国内外で8つの映画賞を受賞した。現在、シドニーの小学校では、授業の一環として、映画「サリュート」を子どもたちに見せている。
その4年後。 あるニュースが、オーストラリア中を駆け巡る。 オーストラリア議会は、ピーター・ノーマンの名誉を回復するための動議を採択。 議会はピーターがオーストラリアで受けた扱い、また亡くなる前に表彰台で行った行為が評価されなかったことについて、謝罪した。
オリンピックの舞台で、自らの信念を貫いたピーター・ノーマン。 彼の勇気と信念は、半世紀近くの時を経て、オーストラリアの人々に、世界中の人々に伝えられた。
こういうのを…業界用語で「主のご栄光が表される」という。
永遠に忘れ去られようとしていたのが、歴史に名を遺す伝説の人となったわけである。
でもなぁ…なんで亡くなる前に映画完成せんかってんやろ。もうちょっと…生きてるうちに「ご栄光」が表れてほしかった…。(あまりにもエマート自身が浮かばれない)
…などと、信仰の浅い…否、信仰などないとも言える私はつぶやいてしまう。
しかし、不遇な境遇にありながら、マット少年には素敵な叔父さんだったノーマンは、やはり、主に祝福され守られていたのだろう。マットには永遠のヒーローだったのだ。
それもまた、主のご計画だったわけである。勿論、メキシコオリンピックでノーマンが、誰も期待していなかった銀メダルに輝き、表彰台に立つことになったことも。