警察を呼ぶ(1)

娘が帰って来ない。
別に、家出したとか、飛び出した…わけではない。
朝、弁当持たせて高校へ送り出した娘Bが、帰宅しないのである。
正確に言えば、娘Bの高校は前期・後期の二期制で、今、前期が終わって秋休みなのである。
一応、学校は休みだが、高校自体は開放してあり、自習を奨励して教諭も指導に当たっている。
家にいても、何もせず転がってるだけの娘Bを、私は9時に起こして、10時に蹴り出した。
時に21時
高校生ともなれば、大した時間ではないのかもしれない。
しかし…今月16歳になった娘Bは、部活にも入らず、つるんで遊び歩くような友達もない。
夕食前には帰宅して、ゴロゴロしてるのが何より好きなのである。そしてこの朝、娘Bは携帯が見当たらず、携帯所持せず出かけたのである。
学校を出る時には電話するように言ってあるが、当然のことながら電話はない。
18時、19時…。
20時ともなると、こちらはヒクヒク…し始める。
それも嫌で、走り(ジョギング)に出る。帰った頃には、(娘Bは)ドテーンと床に転がってるだろう…。
という算段だったが、電話入れたら出たのは姉である娘A。
娘Aは文化祭前で、帰宅が遅くなるのはわかっていた。
娘Bはまだ帰っていないと言う。これは、ちょっと…只事ではない。
21時前、娘Bの高校に電話する。
しかし、出たのは定時制(夜間)担当の教諭で、昼間の教諭は残っていないと言う。
当然だろう。
娘Aの食事を作りながら、どうしようかと思う。娘Bのことを案じながら、淡々と娘Aの食事を整える。
娘Aの食事を用意して、娘Bが今朝、見当たらず、持って出かけなかった携帯から、娘Bの担任の携帯ダイアルを探し当て、電話する。
応答なく留守電、メッセージを残す。
さて、既に21時40分
高校生の帰宅時間としてどうよ…!
少なくとも…我が娘Bにおいては、ありえない時間だった。
職場の夫に電話して相談する。
警察に連絡…?
夫は、もう、30〜40分だと言う。
警察に連絡する前に、祈ろうと思う。
娘Aは反抗期で、祈らなくなったが、娘Bのことで祈ろう、と言って、一緒に祈った。それから、「祈り会」の姉妹方にLineで祈りのお願いをする。
「祈り」だけが「頼り」なのである。
待つ。
ただ、待つというのは、辛いものである。色んな思いが錯綜する。
私の知るキリスト者(クリスチャン)には、子どもを亡くした人が多い。子沢山も多いのだが、亡くす人も多いのである。
私の通う集会の宣教師など、6人の子のうち、3人を亡くされた。
我が子の死を通して、主の「ご栄光」が現わされるというのだから、凄い。我が子を奪われたなら、信仰から離れそうなものだが、そうならないのだから凄い。
あたりまえのように「ただいま〜」と帰宅した娘Bが、いつまでたっても帰って来ない。
死んだとまでは思わないけれど、今、何が起きてもおかしくない。
説明などつかない。
起こる時には起こる。この世とは、そういうところである。
我が子が、白血病になったり、誘拐されたり、殺されたり…するのを、
親は殆ど間違いなく、「そんな」「まさか」「嘘」…だと受け止める。
私がそうならない確証はない。
電話が鳴って…留守電残した娘B担任だった。
今日、学校に行ったはずの娘Bを担任は見ていないと言う。
「………………………………………」
「自習室に行かず、図書室とかに行ったのだったら、そうかもしれませんけど」
娘はいつも、図書室で自習しているらしいから、そうなのだろうと思う。
脳味噌が裏返るかと思った。
覚悟を決めたわけではない。
祈った。
祈ったけれど、祈ったところで、それは、
娘Bが無事に帰って来る。という確信にはつながらない。
神のなさることは最善、でも…我々には理解できない。
神の最善と我々の最善は、次元が違う
のである。
私にとって「祈る」とは…手を尽くした
ということである。後はもう…
主の応えを受け取るだけである。
22時、110番に電話した。