素晴らしいものはみんなタダ(1)

徹子の部屋という番組がある。

1976年に始まり、40年を越えた。2015年には10000(1000×10)回を達成したとか。その司会者が黒柳徹子
ちなみに、1985年にスタートした「さんまのまんま」は昨年、9月でレギュラー放送を終了した。
なんと黒柳徹子、体調不良で番組を休んだことがないらしい。
病気で仕事休んだことがない、とも言ってたな。
1933年生まれというから、80歳を過ぎた。徹子の部屋やりながら、ユニセフ親善大使や舞台女優もやっている。
(小学生以上で)黒柳徹子を知らない日本人ているのだろうか?
黒柳徹子が倒れたら…「徹子の部屋」はどうなるのだろう…
などと、どうでもいいことを考える。
黒柳徹子の前に黒柳徹子なし。黒柳徹子の後に黒柳徹子なし。全く言葉もない。

て、そんな黒柳徹子の母親が黒柳朝(くろやなぎ ちょう)、ご存知の方も多いと思うが、1987年の連続テレビ小説「ちょっちゃん」の原作者、ヒロインのモデルである。
原作「ちょっちゃんが行くわよ」を書いたのが72歳、これがデビューというのだから驚くしかない。
小学校を1年で退学になった黒柳徹子をトモエ学園に転校させた「窓際のトットちゃん」にも登場する母親である。詳細は省くが、黒柳徹子黒柳朝この子にしてこの母あり。
この母にしてこの子あり。
そんな人物なのである。
で…結局、何が言いたいのかというと、「素晴らしいものはみんなタダ」
これは、この黒柳朝さんの言葉なのである。
素晴らしい人は、言うことも素晴らしい。
これ…日頃から自分が感じていたのはこういうことなのだなぁ…と納得した。金持ちにしか朝は来ないとか、太陽も照らさないし風も吹かない、わけもない。
どんな大罪を犯しても、朝は来るし鳥も囀れば、紅葉も夕焼けだって見えるだろう。
最近、ジョギングを始めたのだが、
走るのはタダなんだなぁ、と思う。
心臓が動いて血が流れてるのもタダ。
「タダで動くのは地震だけ」と言った人がいたが、実際、人も物も…なかなかタダでは動かない。(見返りを期待される)そういうことを思えば、身体が自由にタダで動くのは、素晴らしいことなのだと気づく。
身体どころか、月も太陽も星も…タダで動く。
それを「あたりまえ」と見過ごさずに、「素晴らしい」と受け取るところが素晴らしいのだと思う。
タダで、あたりまえに与えられている「恵み」「恵み」だからタダなのだ。
だからといって、スーパーの試食販売だけでは生きて行けないし、タダでも「素晴らしいもの」だけでは生きてはいけない。
一日生きるのだって、無料ではない。金がかかる。逆に、「タダでないものは素晴らしいものではないのだな」

と思うと、なんだかおかしくなった。
そうか…お金のかかるものは「(必要でも)大したものではない」のか…。なるほど。
「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか」
(マタイの福音書6−26)
黒柳朝さんは2010年、95歳で亡くなる。別れの言葉は「じゃっ…」だったと…。
見事としか言いようがない。