「悲しみの意味」

あまり「はまる」ということのない私だが、
星野富弘に、はまってしまった。
図書館で3冊借りてから、アマゾンで3冊買い、オアシス(Bibleショップチェーン)で4冊買った。
アマゾンは中古で割安で買えるが、贈り物に中古はダメでしょ…でオアシスで買った。
大切な人に贈りたくなる本だ。
「むぎのほ」

ゼロはいくつ足しても
ゼロだけれど
〇・一でも残っていればいつか一になり
百にだってなれる
数学は嫌いだったけれど
この足し算を
やって行こう
今の私は〇・一
これを読んで、「父に手紙を書こう」、「父に手紙を書ける」と思った。
今まで、父に手紙が、書けなかった。
手紙を書くのは得意で、父が喜ぶのはわかっていても、
立ち上がることもできない父に、かける言葉が見つからなかった。
父は介護老人保健施設老健)に入っている。
自分で食べることはできる。
弟が毎日見舞いに行き、頼めば何でも食べられる。
正月に、「吉兆」で頼んだお節を家族で囲みながら、
「フォアグラ」バイアグラと間違えた父である。

80過ぎてもバリバリ稼いでいたのが、一昨年の2月、洗面所で倒れた。
幸い日曜で、弟が在宅していた(平日なら出社して在宅していなかった)弟が見つけ、救急車を呼んだ。
くも膜下出血
それから7時間の手術を受けて、助かった。
医師の話では、くも膜下出血で倒れた場合、(発見が遅れたりなどで)搬送までに3割が死亡するという。
在宅している母は一日の半分以上、床についているから、父が平日に倒れていたら…そのまま冷たくなっていただろう。
奇跡のような復活を遂げて退院したものの…。
退院した年、
年賀状、書こ思たら書かれへん。びっくりした。
それは…びっくらぽん、であろう。
昨日できたことが今日できない。
それが、「老い」というものらしい。
そうして、「フォアグラ」を「バイアグラ」と間違えた父が、寝たきりになった。
帰省する度、心斎橋大丸で一緒に買い物した父が、寝たきりになった。
立ち上がれる見込みはない。
電話したら、
「死ぬの待ってるだけや」「みんな死ぬ」「あんたも弱っていくで」
そんな父に、星野富弘の本(「むぎのほ」収録)と一緒に手紙を送った。
送ってから電話をしたら、
「(星野富弘を)凄いなぁ」
と言った。

「絶望したらあかんでぇ」
と言ったら、
「せやなぁ」
と言った。
この人の作品で、どれほどの人が救われただろう。
「心のごはん」というキャッチコピーをオアシス書店で見つけ、なるほどと思う。
首から下が麻痺して動かせない星野富弘が、最初、0・1だったとしたら、今は100かもしれない。
身体機能はそのままで、100になれたのだから、神の技としか思えない。
(「むぎのほ」の絵がご紹介出来ずすみません。尚、上の作品は「悲しみの意味」というタイトルです)