「デッドマン・ウォーキング」(1)

「先生、これ『サイモン・バーチ』購入しました」
アマゾンで2枚注文し届いたDVDである。
「送料込みで1050円でした」(2枚注文しても送料はそれぞれ350円かかった)
レシートももって来た。
「ああ、じゃあ貸してください」
「………先生、お買いになると言われたじゃありませんか?」
「あなたが買ったんなら、それでいいじゃないですか」
先生の分と一緒に2枚購入したんです、とは言えなかった。
差し上げてもよかったのだが、今回はロールキャベツを作って来たので、「差し上げる」と言っても遠慮されるだろう、と。
「1050円ですけど1000円でいいです」と言うつもりだった。
「『(恒例の)面白い映画を見る会』で見たら返しますから」
応接室で「サイモン・バーチ」を見終わった時の興奮は、失われていた。
「興奮」どころか、「記憶」さえ薄れているようであった。
「最近は先週観た映画も忘れる」らしい。
お一人で「サイモン・バーチ」見直すおつもりもないらしい。
「面白い映画を見る会」で、この映画が上映され、面白いと思ったそれぞれが、また人に勧めて…波紋のように広がればいいなぁ…と思っていた。
「じゃあ先生、差し上げますから」
「いいですよ、返しますから」
「2枚購入したので」
「そうですか?」
と遠慮はなさらず、
「じゃあ、『面白い』と言った人にあげよう」
などと言われ、ムッとなる。
まぁよい。
(福音の)種は蒔いた。後は知らん。
そして新たなる福音の種、今回の映画は、
デッドマン・ウォーキングである。
このDVDも「サイモン・バーチ」同様、礼拝で回ってきた。
1995年、アメリカ映画。
主演のスーザン・サランドンは本作でアカデミー主演女優賞、ショーン・ペンベルリン国際映画祭で男優賞を受賞。
イントロ始まり、
「映画館でご覧になってませんか?」
確認すると、
「観てません」
とのこと。(観ていないはずないが)
先週観た映画、忘れる先生が20年前の映画を忘れていても、不思議ではない。(昔のことは覚えているそうだが)
スラム街の施設「希望の家」でシスター(修道女)として働くヘレン(スーザン・サランドン)。
彼女は死刑囚、マシュー(ショーン・ペン)から手紙を受け取ったことで、手紙のやり取りをするようになっていた。
マシューは、1日23時間、働きもせず独房の中にいると(手紙に)ある。

「死刑囚は働かない。他の囚人とは別格の扱いを受けている。死刑囚は刑務所のエリート」
「働く」ことで「死」の恐怖がまぎれることも許されないらしい。
独房の中で、ただ「死と向き合え」ということか?
「身体がなまらないように腹筋運動をしてるがどうしても太ってしまう。丸焼き用に太らされてる豚の気分だ」
「コック帽をかぶった神が夢に現れて、パン粉の中に俺を転がした」
マシューは、十代のカップルを襲い強姦、殺害した。残虐きわまりなく同情の余地はない。
面会人もなく、家族からの手紙もない。
弁護士も去り、最後の砦のように、シスター・ヘレンに救いを求めてきた。
マシューの求めに応じ、ヘレンは州立刑務所を訪れ、初めて死刑囚に面会する。
「サイモン・バーチ」に比べ、こちらは重く暗く…今の桂先生にはおススメでないかとも思ったが、改めて見ると、
圧倒的迫力でグイグイ映画に引き込まれる。
と思っていたら、
「やっぱり、あんな変な男の子が出てくる映画より、こういう本格的なのがいいですね」
「……(変な男の子……」
まぁよい。
原作は、死刑反対論者である修道女、ヘレン・プレイジョーンの書いたノンフィクション。これを読んだスーザン・サランドンが映画化を望み、パートナーであったティム・ロビンスが脚本・監督した。
これによって、スーザン・サランドンは5度目のノミネートでオスカーを手にした。
デッドマン・ウォーキング(DEAD MAN WALKING)」とは「死刑囚が行くぞ」―――死刑囚が死刑台に向かう際、看守が呼ぶ言葉であるという。