文楽「イエスキリストの生涯」

3月11日から実に久しく時が過ぎましたが…。
場所は渋谷区松濤、観世能楽堂
能「聖パウロの回心」と文楽人形浄瑠璃)「イエスキリストの生涯」
の二本立てです。
聖書に材をとった「切利支丹(キリシタン)能」も、文楽も、
観世能楽堂で公演されるのは初めてとのこと。
何だか、誘ったわけでもないのに、芋づる式に同じ教会の方々がぞろぞろ…一緒に鑑賞することになったのですね。
客席は満席。
でも、クリスチャンだから来たって人が、私達以外にいるのかしら。
ワクワクドキドキ…で開演を待ちました。
そして…。
ええっ、これが能なの???
ユダヤ教」やら「大祭司」やら「ナザレのイエス」…。
クリスチャンの耳には慕わしい、聖書の言葉が朗々と語られ、響き渡るではありませんか。
ここは…教会じゃなくて、能楽堂よね。
…とっても不思議な感覚。
イエス・キリストパウロの二役を舞った観世流26代宗家、観世清河寿(きよかず)。
クライマックス、オルガン演奏に合わせて白い装束の宗家が舞う。
何とも荘厳で神聖で…。
…これ、ホントに観世能楽堂???
普段の観世能楽堂が荘厳でない、というわけではないのですが、
この時、神がご支配されたような厳粛な空気に満たされたのでした。
全く、今まで観た能とは別物でした。
ところが、もう一方の文楽「イエスキリストの生涯」(実はこちらが先に演じられた)は、
もう、ぶっ飛びものの凄さ…。
文楽は観たこともなかったので、期待も想像もありませんでした。それが、文楽前の、
文楽解説」
高原剛一郎という人が、イエス様の生涯を語り出したのです。
エス様が神の子であるにもかかわらず、最下層の貧しさの中で生を受け、数々の奇跡を起こし、自分から進んで十字架に架けられたこと。
それがどんなに苦しく、恥辱に満ちた耐え難いものだったか。
一点の汚れもないイエス様が、我々の罪を引き受け死んだことなど…。
それはもう、ぐいぐいと引き込む迫力と言葉の力で、
「この人、救われてる(イエス様を主と受け入れている)よね」
と隣席の姉妹と頷き合いました。
そして、文楽「イエスキリストの生涯」――。
ううむ、凄い…。
マリア、イエス、ペテロ、ユダ…。
登場人物の名前はそのままなのに、場所設定や着物が日本になってます。
ダイジェスト版は以下です。
どうぞ、お楽しみくださいませ。
https://www.youtube.com/watch?v=I7vtV-7z4eY