箱根神社のお守り(1)

人間の心の中には神様のかたちをした空洞がある。
というのは、パスカルの言った有名な言葉だそうです。
礼拝に通い出したばかりの頃、私はこの言葉と出会ったのですが、すごく納得させられました。(さすがパスカル
誰に教えられたわけでもない。
アテがあるわけでもない。
なのに、
すべての希望が閉ざされて、どうしようもなくなった時、子どもでも、神様なんて信じたことのない人でも、
「神さまー」
と叫びませんか?
絶体絶命、他になすすべがなくなった時、
「神さまー」
と救いを求めませんか?
ダメ元ではなく、心をふりしぼって、必死に祈ると思います。
その時、想像するのは、おそらく仏像でも如来様でも観音様でもない。
実は…。
昨日、娘達と夫がサイパン旅行に出かけました。
私は先月、父が倒れたためキャンセルしたんですね。
娘達にとっては初の飛行機であり海外なわけです。
楽しんでおいで〜
と送り出したいところですが、現実に返ると、
心配。心配。心配。
グアムでの生々しい事件はまだ記憶に新しいし、何が起きてもおかしくない。
娘達(10歳×2)には、
さらわれないようにしなさいよ。(父親から離れない)
さらわれたら、売られるよ。
日本人の子はいい値がつくのよ。
などと…脅してはおいたのですが。
で、何が言いたかったかと言うと、
私が心配する以上に、義母も心配だったようで、出発前に義母が、
「おばあちゃん、心配で仕方ないから」
と、取り出したのが、
箱根神社のお守り。
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
箱根に行ってきたばかりらしいのですね。
私がクリスチャンで、聖書では偶像崇拝は厳禁だけど、それを知ってて、わざと意地悪したふうでもなく。
義母にとっては、孫のことを思っての必死の祈り…イエス様知らなければ、こんなとこなんだろうな、と思います。
なので、黙ってお守りはいただいたのですが…。
はてさて。
たかがお守り、されどお守り…
なのであります。
私は娘達と、旅行を楽しめますように、元気に帰国出来ますように、と祈ってきました。
箱根神社のお守りは、「偶像崇拝」ではない(私達=私と娘達、がご利益を信じているわけではない)し、
義母の気持ちを無碍(むげ)にしたくなかったから、受け取ったまでのこと。
海外旅行のアクセサリー代わりにもっていってもいいかな
とも思ったのですが…。
少し、軽薄な気もしました。
少なくとも、娘達に対しては、(お守りに対して)曖昧でなく、毅然とした態度を取るべきではないか、と思いました。
有名な十戒です。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主はねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎(とが)を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
出エジプト記 20章3〜6節)
このお守りを信じているわけではない。
だから、
神の怒りに触れることはない。
と、まず、思ったんですね。
けれど、
このお守りを旅行先にもっていくことを主は喜ばれるか。
と思った時、どうしていいのかわからなくなりました。