葬儀

6月3日、午前11時30分、増上寺
新藤先生の葬儀に桂先生と向かう。
どうして桂先生と向かってるかというと、訃報を知った私が先生に電話して、なんとなく行くはめになってしまった。
桂先生は新藤先生の後任でシナリオ講座の学長だし、葬儀には協会のお歴々と列席されるものかと思ったのだが…。
「じゃあ、待ち合わせて行きましょう(* ^ー゚)ノ」
え…あ、あれ…私、行くんですか?
…で行くことになった。行くのはヤブサカではない。結婚式に祝電をいただくくらいの関係ではあった。
祝電の文句は、「子作りに励んでください」だった。
ただ、文化功労者にまでなられた方なので、私如きが参列するのは場違いのような、どこか気が引けるところがあった。
桂先生と葬儀に参列するのは、これで二度目だ。前回は脚本家の下飯坂菊馬氏、4年前だった。
そして、その時と同じところで待ち合わせた。
このところ、桂先生と会うと、訃報の話になる。先生ご自身が80歳を過ぎておられるので、切実なものがあるのだろう。
ブラックな笑いで包みながら、(葬儀に行くのも面倒になって)亡くなったら葬儀に行くのは誰某…と読み上げられて、思わず、
「やめてください」
と言った。一方で、
「三輪レイコが死んだら行きます」
と言ってくださったのには、泣きそうになった。
一緒に葬儀に行く相手がいるというのはいい。この日も、桂先生と「新藤兼人」を話題にしながら、増上寺に向かった。
「先生は、新藤先生の監督作品で何がお好きですか?」
「『安城家の舞踏会』なんていいですね」
「あれは脚本でしょう?」
「そうだそうだ。僕実は…新藤さんの監督作品て、あまり…( ̄_っ ̄)」
「『裸の島』は?」
「まぁねぇ…」
「やっぱり新藤先生って、脚本になると華やかに艶っぽくなりますよね。『安城家』とか『清作の妻』とか、『しとやかな獣』もすごいし…」
「『しとやかな獣』なんて、退廃した金持ちの息子しか書けませんよ」
退廃した金持ちの息子=新藤兼人
何でも、広島の豪農だったのが人の好い父親が騙されて、没落…。
式場は新藤先生の大きな遺影が花で囲まれて、とても明るかった。俳優の柄本明が切々と訴えかけるような弔辞を読んでいた。
何でも、新藤先生が「一枚のハガキ」撮影現場で話をしながら、プー、とオナラをしたらしい。誰もそれに反応せず、先生は話し続け、そしてまた、プー。
その時唯一、孫の新藤風さんが、もう、おじいちゃんたらぁ…と返したらしい。
99歳の老監督のオナラ…。確かに、普通のオナラではない。重みが違う
|* ̄Д ̄*||*-д-*||* ̄Д ̄*||*-д-*|ウンウン
私は…クリスチャンなので、お焼香はできない。数珠も使わない。
場所は増上寺だし…と少々不安でした。
でも式場見たら、仏式の暗さは全くなく、お焼香もなくて白いカーネーションの献花。無宗教のようです。
林光のBGM。
献花を終えると桂先生、
「早く終わってよかった」
出棺を待つ気もなく、そそくさと増上寺を後にしたのでした。
4年前の下飯坂氏の時は、すごく寒かった。先生は盛んに「葬儀じゃなくて『偲ぶ会』にすればいいのに」とご立腹。
食事してコーヒーを飲み…。新藤兼人、100年の人生の見事さについて語り合う。
4年前は横断歩道渡るのに、青信号が点滅するのを早足に渡りきられた。別に急ぐ必要はないのだが、要するにせっかちなのだ。が…この日は、点滅する青信号を渡ろうとはせず、待たれた。
「今朝、ネクタイ結ぼうとしたら結び方がわからなくて…驚いた」
「めったにネクタイされないから」
「…だんだん出来ないことがふえていくんですからね。嫌になりますね」
先月の連休明け、2ヶ月ぶりくらいにお電話したら、開口一番、
「あなたは、自分の用がないと連絡してこないんだから!」
食ってかかられた。嬉しかった。いえいえ…と、実家に帰省して、先生の好物の奈良漬買ってきましたので…というと、
「そうですか(o^∇^o)」
奈良漬もって伺った。
先生とまた、3度目の葬儀をご一緒したいと思う。