神の御心

礼拝堂に響く、賛美と祈り、そして聖書の御言葉…。それらは優しく美しく、流れのように耳ざわりよく…私は思う。
なんて心地良い眠りに誘ってくれるのだろう。
(*^^)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆アリガトー!
そして、この日は、ついウトウトどころか、肩を揺らして船を漕いでしまった。
シ──(-ω-)(-ω-)(-ω-)──ン
神様、ごめんなさい<(_ _*)>
私が通う、キリスト集会とは、こういう所です。
http://www.christ-shukai.net/
何の束縛もない。洗礼や献金の義務もない。ただ、イエス様を信じる人達が集まる。そういう所のようです。名簿もないし登録制もない。吉祥寺に始まり、各地に支部があるようですが、私の通う集会所では礼拝堂の席は100席くらいでしょうか。それがいつも、足りないでもなく余るでもない、綺麗に埋められるのは…不思議です。
私はクリスチャン歴1年余り。ここに通うようになったのは、まだ今年の3月です。(前の教会を出ることになった経緯は、カテゴリー「キリスト教」の「姦淫」(1)〜(5)参照)
前に通ってた所が、色んな意味で拘束される、厳しい所で、例えば、礼拝中にウトウトしようものなら、
「レイコさん!|`Д´)ノ」
矢のような叱責が飛んできました。でも、ここでは…
寝てる人いるし…
同じ信者の人に話しても、
「私も、いつも寝てたわよ…(^-^)v」
なんて感じで…。
「聖書も何年も押入れに眠ってた」
かと言って、信仰がいい加減
かというと、とんでもない。私、ここへ来て、祈りの力と深さ
というものを、教えられました。
ここでは、女性信者を「姉妹(しまい)」、男性信者を「兄弟(きょうだい)」と呼び合います。で、礼拝で顔を合わせると、知り合いの姉妹同士、兄弟同士で握手してるんですね。で、礼拝が終わると昼食替わりの軽食を皆でいただき、「交わり」というものをします。一般的に言う「歓談」ですね。クリスチャンとは「神の子」ですから、信者同士は「兄弟」「姉妹」であり、「交わり」というのも、聖書にそのような用い方があるのかと思います。でも……f(^ー^;最初の頃、
「姉妹!(^○^)」
と話しかけられ、
「交わらないの?(そのまま帰るの?)」
と言われた時には、ドキッとしました。「交わります」と言葉に出来なかったf(^ー^;
さて、色んな人がこの集会に来るのですが、
「ほらほら、チラシチラシ…紹介してあげる(っ*´ё`)b  ぁぃ」
と言ってくれる谷姉妹。私の腕を引っ張って、
「この人ね、劇作家で、来月、下北沢で舞台するのよ(*^^)/」
お孫さんのいる寡婦(やもめ)でいらっしゃるらしいが、まるでマネージャーである。
「ほら、あなたなら行けるでしょ( -∀-)ノ」
どうもこうも、安い買い物(一枚3000円)ではなし、私は恐縮して、
「(舞台成功を)祈ってくだされば…」
「祈りだけじゃダメ、買ってもらわないと。私、昔、YWCAで舞台やるのに切符売ってたことあるのよ」
…いい人だと思う。「私は行けないけど」とはっきり言ってくれるのもいい。
献身、奉仕…の精神、クリスチャンの鑑
(*^^)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆アリガトー!
ちょっと違うf(^ー^;
でも…お陰で何枚か、買ってもらうm(_ _)m アリガトォ〜★
イラストのコピーに聖書を引用したのも効を奏しました。
女にはこう仰せられた。
「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。
あなたは、苦しんで子を産まなければならない…」
(創世記3−16)
「ほら、ここに聖書を引用してあるでしょ?|^ー゚)ノ」
\(∇⌒\)☆ア☆リ☆ガ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/
祈りというのは、神との対話だそうです。そして、「祈り」が神の意志に叶(かな)うものなら、その祈りは聞き届けられるそうです。クリスチャン作家として有名な三浦綾子。賞金1000万の懸賞小説「氷点」は昭和39年の作品ですが、最近もドラマ化されました。三浦綾子は熱心なクリスチャン。祈りながら「氷点」を書き、「神の御心でないなら、閉じてください(原稿が書けなくなる。或いは、応募しても落選する)」と祈ったそうです。私は知らずに読みましたが、この「氷点」、人間の原罪をテーマにしているそうです。
私も…。
この舞台が、神の御心に沿うものなら成功するし、そうでないなら、仕方ない。
シ━━(^(^(^(^(^(^ω^;lll)━━ン
諦めではなく…。