「死が怖くありません」

     「耳が遠くなって」   柴田トヨ(99)
耳をすますと
冷蔵庫の唸る音
風が戸を叩く音
聞こえるけれど
この頃 人の声が
よく伝わらなく
なってきた
しっかり聞くように
努力している 私
でも嫌な話は
わざと聞こえない
ふりをしている

お澄まし顔で
 
11月9日付け 産経新聞「朝の詩」にあった柴田トヨさんの詩です。
柴田トヨさんと言えば、処女詩集「くじけないで」が75万部のベストセラーになった99歳の詩人です。
詩作を始めたのが90歳を過ぎてからというからすごいものです。
書店に平積みになってるのは見かけたものの、手に取ることはしなかったのですが、この「耳が遠くなって」、なかなかいいですね。
耳だけではないでしょう、色々な機能が衰えてくることを、静かに、優しく、そこはかとない哀感をともないつつ…受け入れている。60代、70代…では、なかなか達観出来ない境地かもしれません。


「今の世の中は生きることは考えている。でも、老いて病んで死んでいくことは考えていない
芥川賞作家であり、流行作家とは一線を画する文壇の重鎮、古井由吉氏(72)の言葉です。
大病をして2週間仰向けになりながら、しみじみ思ったそうです。
「老いや病や死、それらと折り合う方法はないものか」
辿り着いたのが、
「苦しみ抜いた末の諦め、それ以外に人の救いはない」
という境地だったそうです。

先の柴田トヨさんと比べると、随分、悲観的な感じがします。72歳といっても99歳と比べれば親子くらい違うのに…。
それに…「苦しみ抜いた末の諦め」しか「救い」はないなんて…。
それはないやろ〜
この先の人生に、夢も希望もないやんけ〜
(*`ε´*)ノ_彡☆バンバン!!
文壇の重鎮かもしれんけど、古井由吉はんに言いたい。
「救いはあります。あなた、クリスチャンになりなさい(`□´) 」
":*・゚☆.。.:*・゚£(。・""・)o[†...Thanks...†]o(・""・。)β。.:*・゚☆.。.

柴田さんの詩をちょっと検索して読んでみたら、とてもクリスチャン的なんですね。実際、クリスチャンかどうかはわかりませんが。

「私はクリスチャンなので、死が怖くありません」
――俳優、宇津井健氏がテレビで言ってたこのひと言、衝撃的でした。78歳、奥さんに先立たれて一人暮らし。なかなか言えません。私が教会に通うようになったきっかけの一つにもなりました。
「死が怖くない」って、どういうこと???
で、わかりました。
クリスチャンは死んだら「天国」に行くことが約束されている。「天国」とは永遠の楽園、「人生」なんて、束の間の修行(?)みたいなものなんですね。
キリスト教弾圧の時代、殉教者が拷問にあったり死刑になったりしても信仰を貫けたのは、死ねば「天国」が待ってると確信してるからなんですね。
逆に、信仰を曲げてクリスチャンでなくなるのは、これも永遠に続く「地獄」が待ち構えているわけですから、恐ろしい( ̄0 ̄;)
ですので、クリスチャンにとって「死」=「永遠の命」を与えられるということ、「怖い」どころか「喜び」なわけです。
これ、全く、人生観が変わってしまいますね。修羅場をくぐって「死が怖くない」って人はいても、「死が喜び」って人は、なかなかいない。「死んだらおしまいヽ(▼o▼)」なんて思うより、「天国」が待ってるから「死が楽しみ(~0~)」の方が、断然イイと思います。
私が通う教会の牧師夫人、瑛子さんがよく言います。
「この世でいくら評価されても、そんなのは関係ありません。イエス様を信じるか信じないか、それで『天国』に行くか『地獄』に行くかが決まるんです|`Д´)ノ」
この世の評価なんてものは、人間世界のもので、神とは無縁ということでしょう。
ある日、瑛子さんに質問しました。
「あの〜クリスチャンになる動機が、『天国に行きたいから』というのは不純でしょうか"(-""- )"」
瑛子さん、ニコリと笑って、
「いえいえ、そんなあなた、世のため人のため…なんて綺麗事。自分が天国に行きたい!立派な動機です( -∀-)ノ」

\(∇⌒\)☆ア☆リ☆ガ☆ト☆ウ☆(/⌒∇)/