「屋根の上のバイオリン弾き」(2)

映画冒頭に登場する「屋根の上のバイオリン弾き」――台詞もなく、ただ屋根の上で意味もなく(?)男がバイオリン奏でてます。これが、主人公の牛乳屋テビエ言うところの「危ういバランスを取りながら楽しい音楽を奏でようとする」テビエ自身であり、この映画の底辺に流れるテーマのようになっています。
ちなみに、原作『牛乳屋テビエ』には「屋根の上のバイオリン弾き」は登場しません。屋根の上のバイオリン弾き」という題名は、昔ローマ皇帝ネロによるユダヤ人の大虐殺があった時、逃げまどう群衆の中で、ひとり屋根の上でバイオリンを弾く男がいたという故事を描いたシャガールの絵にヒントを得たもの。ユダヤ人の不屈の魂の象徴だそうです。
以下、ミュージカルのパンフレットによると、
「〜このタイトルは、マルク・シャガールの絵に由来するものなのだ。彼の初期の代表作【緑色のヴァイオリン弾き】。シャガール1920年代の初頭にはまだソ連にいて、モスクワの国立ユダヤ劇場で舞台美術の仕事に携わっており、この絵もそこで1921年に上演されたアレイヘム作品のために彼が描いた壁画を、彼がソ連を去った後に復元したものだという」
ちなみに、アレイヘムもシャーガールもユダヤ人。
原作になかった「屋根の上のバイオリン弾き」を、このようなかたちで芝居の中に溶けこませた、脚本家の深い洞察と手腕には脱帽ですm(_ _)m ★
信仰篤(あつ)きユダヤ教信者、テビエ。牛乳屋をしながら5人の娘の幸せを願い、つましくも幸せに暮らしています。娘達には金持ちとの結婚を望むテビエですが、どれも実現しません。
超貧乏な仕立屋と長女の結婚。愛ゆえに反対出来なかった。厳粛な結婚式…ユダヤ追放の魔手が宴をめちゃめちゃにして去ります。
ユダヤ迫害は次第にエスカレートし、映画に緊張感と重厚感をもたせます。
長女の結婚式がめちゃめちゃにされた後、牛乳を配達しながらテビエは神様とおしゃべりします。
「困った困った。誰にもあたれない。あんた(=神)はお忙しいだろうけど、モーテル(長女の夫)にミシンを与えてほしい。ついでに、私の馬の足も…(治してほしい)」
テビエの願いが通じたのか、モーテルはミシンを手にするのですが…。

次女は革命を夢見る学生闘士、バーチックと恋に落ち、結婚を決めます。テビエには事後報告。次女は父親に「赦し」と「祝福」を求めます。テビエは絶句します。自分の頭越しに結婚を決められても…。
「伝統はどうなった?」
「アダムとエバに縁組はあったか?…ありましたよ、あんた(=神)が縁組したんだよな」
葛藤しながら、テビエは娘の結婚を赦し祝福します。「娘が惚れてる」から仕方ないのです。
やがて、革命に敗れたバーチックはシベリアに送られ、次女は夫を追ってシベリアに向かいます。
そして、三女と来ては…ロシア青年と駆け落ちしてしまいます。
許しを乞う三女にテビエは言います。
「鳥が魚と恋してもどこで家庭を築くのだ」
そもそも、信仰の異なる者とは、鳥と魚のように「種類」が違うと言うのです。
ドモ\( ̄▽ ̄*)(* ̄▽ ̄)/ドモ
長女も次女も、苦渋の挙句に結婚を許したけれど、こればかりは…。
「私達を許して」
と懇願する三女に、
「わしの信念はどうする?娘を否定出来るか、信仰に背を向けるか…」
究極の選択です。
娘を取るか信仰を取るか…。
そして、テビエは決意します。
信仰を裏切れば「自分が折れてしまう」…。
旧約聖書にもあります。神はアブラハムの信仰を試そうとして、息子、イサクを焼き殺すようアブラハムに命じ、アブラハムは従います。神はアブラハムの信仰の確かさを知り、イサクは焼き殺される寸前に助けられるのですが…。
つまり、ホンモノの信者にとっては、
我が子<信仰
なのですね。
テビエは、それまでの「心優しき父親」を拭い去り、三女を降り切ります。
「娘は死んだ」と妻と自分に言い聞かせるのです。

そして…とうとう「ユダヤ人強制退去命令」のもと、テビエ達は村を立ち去ることに…。
猶予は三日。
最後のお別れに三女がやって来るものの、テビエは目も合わせようとしません。ただ、娘の背中に声を掛けます。
「神のご加護を…」
着の身着のまま、静かに村を離れていこうとするテビエに、バイオリン弾きがもの悲しい曲を奏でて後に従うのでした。