シナリオ『結び目』

ドラマが人物を作るのではなく、女がドラマを作るのだ。
発売中の月刊誌「シナリオ」10月号に、映画『結び目』のシナリオが掲載されています。その「作者ノート」にあった港岳彦氏の言葉です。
本作の執筆に取り組みながら、いつもこう念じていたそうです。そんなわけで、シナリオはこんな聖書の引用で始まるのですね。
1 黒字に白で――T「そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造りあげられた」(創世記2−22)
(くだくだしくならないように、少々解説させてください<(_ _*)> )
神が天地を創造し鳥や動物、植物をつくり、
「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」
これ、神を信じる信じない以前に、面白いですよね。なるほどと思います。
神様って、我々は知りようもないから、なんとなく人の姿を想像するしかないのですが、なぁんだ、人間って神の姿と似てる、「似せて造られた」んだ、と目からウロコが落ちたものです。
「神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった」
何とも幻想的、美しいなぁ、と溜息が出ます。いえいえ…。つまり、アダムですね。
「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、彼にふさわしい助け手を造ろう」
で、
「そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造りあげられた」
イブの誕生となるのですね。
余談ですが、この港さん、とてもキリスト教に興味をもたれ、「イサク」というピンク映画にキリストを用いられています。
ピンク映画にキリスト???
アセアセo(^^;o)Ξ(o;^^)oΞo(^^;o)Ξ(o;^^)oドウモ〜♪
興味をもたれた方は、2009年「シナリオ」4月号にシナリオが掲載されています。ちなみに、
公開タイトルは「獣の交わり 天使とやる」
シ━━(^(^(^(^(^(^ω^;lll)━━ン
は〜ぁ。
『結び目』シナリオ読んで、小説みたいなシナリオだと思いました。つまり、
説明がない。
うるさい台詞もない。
行間で読ませる、余情を感じさせる。
台詞の少なさには驚きます。
シナリオ発想の原点となった、港さんのイメージ。
一人で煙草を吸いながら喫茶店でコーヒーを飲む女。
のシーンから始まって、台詞がなくて、あっても「…」で、最初の台詞の登場がシーンNo.19です。(全104シーン)
(ちなみに、同時掲載されているオカンの嫁入り」は、ト書きもないくらい、全編台詞です( ̄▽ ̄;)
「脚本を書く者の脳裏に浮かんだイメージ」が映画の核になるのではないか、と「作者ノート」にあります。「それが強固であればあるほど、映画には血肉が通う気がする」――茶店で煙草を吸う女というイメージを中核に据えたならば、ほかのすべては彼女の内面を掘り下げることで生まれていくべきだと思った」
その「イメージ」を彫刻刀でコツコツと形つくるように、シナリオが紡がれたような気がします。
で、この「喫茶店で煙草を吸う女」=「絢子」ですね。
演じる女優は大変です。
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
シナリオを読んで、改めて、
この役を引き受けた赤澤ムックはすごい。
台詞が少ないから、
「台詞覚えなくていいし、ラッキー(^-^)v」
ですむものではない。台詞で「逃げ」たり「発散」させたり出来ないのです。
「喫茶店で煙草吸いながらコーヒー飲む」
って、それで、
「絢子を語る」
これ…至難の業ではないでしょうか。赤澤ムック事務所社長のコースケさんと飲んだ時、この映画に出るにあたり、
「憑依」
という語を用いられたのですが、まさしく、「憑依」です。赤澤ムックという女優が「絢子」に憑依、乗り移った。それは、奇跡のような見事さでした。映画には絢子が自転車乗ってるシーンが多いのですが、どういうわけだか、それがとても好きでした。特別なクセがあるわけでもなく、普通の自転車を普通に漕いでるんですが、それが、いかにも「絢子」なんですね。憑依しなければ、ただ、自転車漕ぐなんて芝居、出来たものじゃないと思います。
コースケさんがシナリオ読んで、絢子役をやった方がいい、とアドバイスしたのも改めてすごいと思いました。映画が失敗するか成功するか、絢子役にかかっているのですから。

「絢子」という「形」に、「赤澤ムック」が命の息を吹き込んだ。そして、「絢子」という生きものになった。
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『結び目』は9月10日から静岡県、藤枝シネ・プレーゴ、11月にはエジプトのカイロ映画祭で上映されるとのこと。DVDも近日中に発売。(『結び目』の営業マンみたいになってきたぜ"(-""- )")