滝沢家の内乱(2)

加藤健一プロデュース100本記念」とされた「滝沢家の内乱」。
パンフレットによると数ある戯曲の中から、加藤健一がこの作品を選んだ理由として、
戯曲を読んで感動したのは勿論、久々の時代劇も面白いなと思った。
そして、
28年の歳月をかけて「南総里見八犬伝」を完結させた滝沢馬琴という戯作者と、31年かけてここまで来た自分を、どこか重ね合わせていた。
とあります。過去を振り返ると、1980年、パリーコリンズ作、一人芝居の「審判」から始まり、英米のウェルメイドプレイが圧倒的に多い。日本の作品、それも時代劇というのは非常に珍しい。吉永仁郎作「滝沢家の内乱」は1994年紀伊国屋ホールで初演。大滝秀治三田和代の二人芝居でした。今回の「滝沢家の内乱」。滝沢馬琴加藤健一、長男の嫁、お路に加藤忍の他に、「声の出演」として風間杜夫高畑淳子という加藤健一とタメを張るビッグネームが「友情出演」しています。これも見もの。

加藤健一が選りに選っただけあって、戯曲が実によく出来ている。(舞台の台本を正確には戯曲と呼びます)
文政10年、「南総里見八犬伝」執筆中の滝沢馬琴、その家に、息子、宗伯の嫁としてお路が嫁いできます。お路は滝沢家のしきたりに戸惑いながら、滝沢家の一員になろうと健気に努力します。しかし…
馬琴の妻、お百は病でいつも床に伏せり、ヒステリックにわめき立てる。言うなれば悪妻。
馬琴の息子、お路の夫である宗伯は医者ですが、虚弱体質で人付き合いが苦手。家で薬の仕事をしています。
「滝沢家の内乱」というだけあって、家庭劇、それも、嫁舅、嫁姑、老夫婦、若夫婦…「渡る世間は鬼ばかり」みたいな、てんやわんやの実に日本的なノリで始まります。この、ドスの効いた声でがなり立てるお百が高畑淳子、今で言う超「草食系男子」、ひ弱なもやしのような一人息子、宗伯が風間杜夫の役どころです。
感情優先のヒステリックババアVS虚弱で繊細なもやし息子
みたいな構図が、高畑淳子VS風間杜夫の「声だけ出演」で演じられます。
江戸時代にもあったんですね、こういうの。風間杜夫演じる宗伯は、すぐに下痢してトイレを往復。その回数を馬琴が執拗に数えて日記に記します。

この舞台の最大の魅力は、あの「滝沢馬琴」が、多才で変わり者ではあるけど、実に身近な存在に感じられたこと。この滝沢馬琴、日本で原稿料だけで生活出来た初めての作家だそうですが、作家=生活破綻者という公式とは真逆の人で、実に見事な生活者でした。作者、吉永仁郎氏によると、
金銭の出納、副業の薬の製造卸の経営、庭木の手入れや果実の収穫、家族の争の仲裁…。滝沢家の敷地の中の一切は家長馬琴の精密な頭脳にインプットされ、その判断決済を経て処理執行されるわけである。
とあります。見上げたものだと思いますが、嫁、お路の立場にすれば、非常に煙たい存在ですね。
お路(多分、見合い結婚)にすれば、
夫は虚弱体質。
義母はヒステリー。
義父は文豪。(で、滝沢家のすべてを執り仕切っている)
時代は江戸。とんでもない家に嫁いで来た、としか言いようがない。それでも第一子、第二子…と子を産みます。滝沢家の家系が引き継がれてゆきます。女の一生を送るわけですが…病弱な夫は38歳で他界し、若き未亡人となります。残るは、寝たきりのヒステリー姑と、気難しい文豪の舅。
舅である馬琴、長男を喪った上に右目の異常から左目までかすむようになり…。
そんな絶望的な馬琴ですが、お路には滝沢家と縁を切り他家へ嫁ぐことを勧めます。そこでお路、馬琴の申し出をきっぱりと断り、
南総里見八犬伝」の口述筆記を申し出ます。
とは言え、このお路、漢字の読み書きが出来ません。
「漢字には偏(へん)と旁(つくり)があってな…」
から始まり、八犬伝は再び動き始めるのでした。

南総里見八犬伝」の裏側に、このようなドラマがあったのですね。
江戸時代の話でありながら、そこには、高齢化問題、老々介護の問題…もあり、非常に考えさせられました。
声の出演者、高畑淳子風間杜夫ですが、これは本当に「声」だけでなく役者として出演して欲しいくらいの役どころです。何でも、この「滝沢家の内乱」の初稿は9人芝居だったとか。書き直すうちに登場人物がどんどん減って、最終稿で2人になり、お百と宗伯は声だけになってしまったそうです。高畑淳子風間杜夫も、一緒に生きてきた演劇界の仲間。お二人とも「顔の出ない大役」を二つ返事で引き受けてくれたそうです。
(*^^)/。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆アリガトー!