勝手に出来た。

『人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている』
(ヘブル人への手紙 第9章27節)
その教会の講壇の上に、このような聖書の言葉が貼られていました。聖書などとは無縁の頃なら、
は〜ぁ、そうですか…( ̄_っ ̄)フーン
ってなものですが、なまじ聖書を齧ってしまうと、真に迫ってきて、
こ、こわ…((((;゚;Д;゚;))))カタカタカタカタカタカタカタカタカタ
マタイ福音書にはこんな一節があります。
『わたしに向かって、『主よ、主よ』という者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみ心を行う者が入るのです』
エスは神の子。従って、この「わたし」はイエス、「わたしの父」は神ですね。なんだか…天国に行くのは「狭き門」のようだと暗澹たる気持ちになったものです。
「死後の裁き」――。
(ヽ>ω<)ヒイィィィ!!●~*ヒイィィィ!!(>ω<ノ)ノ
この教会というのは、私の実家近くにある教会です。駅近くにあるビルで、帰省する度、毎日のように前を通ってました。教会学校、礼拝、聖書学び会…掲示を見る度、
ウサン臭ッ…( ̄へ  ̄ 凸
だったのが、15日の日曜日、
いっちょ覗いたろ(^O^)/
みたいな好奇心から聖書持参で入ってみたんですね。そしたら…
『人間には、一度死ぬことと死後に裁きを受けることが定まっている』
が待ってたんですね。
礼拝者の数は大したことなくて、牧師がメッセージをして、内容的には満足のいくものでした。思えば、
教会って、結構、あるよね。
こんなふうに、駅前にあったりビルだったりすると、それだけで、
ウサン臭ッ…( ̄へ  ̄ 凸
になるものですが、それこそ偶像崇拝。緑に囲まれた白亜にステンドグラスの教会が、
ナンボのもんや…(*`Д´)φ
と今なら言えます。
ですので、ブログ読者の皆さま、信仰心とは無縁で結構、一度、近くの教会を覗いてみられるのも面白いと思います。
で…。
キリスト教などとは、全く、興味も関心もなければ、天地創造、天使と悪魔、天国と地獄なんて、
あるわけないやろ(  ̄ー ̄)ノ
というのが生粋の関西人にして叩き上げの商売人の我が父。キリスト教に限らず、
信じるのは自分と金だけ。
(詳しくは3・12日ブログ「関西人」参照)
で、今日まで生きてきました。半端じゃないです。例えば、
募金なんぞ一切しない。(何に使われるか知れたものじゃない)
福祉も同じ。
保険にも一切入らない。自動車保険にも入りません。
(自宅を)火災保険に入らない理由を聞いた時、「燃えたら、もう一回建てる」とのたまいました。(あっぱれな父、だと思ったものです)
結局、仏壇を守り墓参りは欠かさないながら、神仏をアテにしてるわけでは毛頭なく、私が教会に通い出したのにも、
日曜日にえらいなあ(o^∇^o)ノ
ってな感じで、私がクリスチャンになっても一向に気にしないようなところが、娘ながら見上げたものだと思います。(老境に入って色んなことが「どーでもよくなった」という気配アリ)
で、この父に、教会でもらったチラシを見せて反応を見ました。化学反応みたいなものですね)
チラシは、マンガを使いながら、「太陽系」の模型を「どうやってつくったんだ?」「つくってなんかいませんよ。勝手にできたんですよ」「そんなわけないだろ。真面目に答えてくれよ」――というやり取りがあり、「模型よりもっとすばらしくできている本物の宇宙が勝手にできたわけがない」つまり、神がつくったのだ、というオチです。
確かに…人間の体ひとつとっても、実に、見事に精巧に出来ています。五体、五管、五臓六腑…呼吸、発声、歩行、思考に喜怒哀楽…。こんなの、科学の粋を尽くしても再現出来ません。おまけに生殖までするんですからね。何かが少しズレただけで障害が起こる。逆に言えば、「障害者」がザラにいていいわけです。否、「健常者」の方が稀(まれ)なのでは…。
こんな「人間」が、勝手に出来た、って…思えるでしょうか。そこを父に問うてみると、
「勝手に出来たんや」
「そんな…」
「何万年ていう時間がかかって、出来たんや」
「何か、外部から力がかからないと出来ないでしょう」
「そんなことないねん。難しいことはわからんけど、そういうもんや」
( ̄ω ̄)(ーωー)( ̄ω ̄)(ーω−)