「HOUSEハウス」(1)

1977年、大林宣彦監督の劇場映画デビュー作で、脚本は桂先生です。
桂千穂著「カルトムービー 日本映画1945→1980」によると、
「私と大林宣彦監督との出会いはもうずいぶん昔になる」
なんでも、「映画評論」という雑誌で怪奇映画ベスト・テンという企画があり、その時、桂先生と大林監督のベスト・テン映画がほとんど同じだったそうです。当時の大林監督は、テレビコマーシャルの演出家として活躍していたそうです。当時、先生は「桂千穂」という名前から大林監督から女性だと思われていたそうで、雑誌に顔写真が載ったことから男性だとわかり連絡をもらい、それが初めての出会いだったと。

運命の…出会いですね。
今でこそ、CF監督出身の映画監督は沢山いますが…。当時の日本映画にはヒット作がなく、これまでにない斬新な日本映画を作るためには外部から監督を呼ぶしかない、という東宝の角田健一郎プロデューサーの判断から、東宝スタジオでテレビコマーシャルを撮影していた大林宣彦に白羽の矢が立ったとか。当時、アメリカで大ヒットした鮫が人間を襲う『ジョーズ』(75年)のような映画ができないかと相談をもちかけたそうです。そうして…
「家が人を食べる話にしたら」
という、当時12歳の大林監督の娘の言葉をヒントにして、「脚本を書いてほしい」と桂先生に依頼してきたのだそうです。
監督のお嬢さん、大林千茱萸(ちぐみ)、映画の原案としてタイトルされていますね。
依頼された桂先生、ウォルター・ジョン・デ・ラ・メアというイギリスの怪奇小説家の短編をもとに、七人の少女が一人ずつ家に食べられていくストーリーを大林監督と一緒に考え、脚本作りに着手した、とあります。
はぁ〜原点は「ジョーズなんですね。
脚本が完成しても、助監督経験もない者が映画を撮ることに、東宝の助監督達から猛反対されます。その窮地を救ったのが、東宝撮影所出身の、
岡本喜八監督。
大林監督も期待に応えるため、これまでの日本映画にはないものを作ろうと意欲を燃やし、あらゆるシーンに特殊効果を使い、それまでテレビコマーシャルで培った技法のすべてをこの映画に注入したとか。
納得です。
オカルトファンタジーとでも言うのでしょうか?
摩訶不思議な桂ワールド…。
それは、
サーティワンアイスのトリプルに、デコレーションとトッピングをしこたま仕掛けたような、
これでもかこれでもか…くどいくらいのテンコ盛りのサービス精神。
内容については次回に…。