「がん」という冒険(102)

当時の娘達は小学校の低学年。

娘達はしょっちゅう物を失くす。その度にイエス様に祈って、すぐに見つかることが多かった。本当に祈った直後に見つかって、大笑いしたことが度々あった。今は離れてしまったけれど、エス様は娘達のすぐ近くにおられた。

そんなわけで、私達親子は次の教会を求めて近所の教会を漂流した。

そうして、たどりついたのが、故人となったドイツ人宣教師ゴッドホルト・ベックさんが主宰するキリスト集会というところである。

さて、そもそも、どうして私がこのような過去を語り出したかというと、それは、

3月7日

が私にとって記念すべき日で、どのように記念すべき日なのかを語りたかったのである。

学生の頃から神を求めながら出会えなかった私が、結婚して母親となり、ようやく神と出会え救われた。それが13年前の3月7日それはなんと、娘達も一緒に救われるための主のご計画だったのだと納得できた。

 

ところが、その教会を追い出され次に行き着いたのがキリスト集会なのだが、私が主宰者であるゴッドホルド・ベック宣教師と初めて出会ったのが、一年後、すなわち2011年の3月7日だったのである。

この日、初対面のベック宣教師が言われたことは衝撃的であった。

「宗教は組織で人間が作ったもの。宗教で一番悪いのはキリスト教。一番信者が多いから」

「大事なことは、神×人。間に何も介在しない」

確かにそうだと思った。あんな家族で行っている教会の礼拝さえ、組織であり序列があり規則、規律のようなものがあった。私はつまり、それに逆らったのだ。

それから娘達と漂流した近所の教会も、役職を決めて当番があったり、名簿に住所氏名を載せられ、礼拝を休むとハガキが届いた。

驚くべきことに、このキリスト集会には、

・礼拝の出欠をとらず、名簿もない。個人の意志で連絡先を交換するだけ。

・つまり、礼拝に出ようと休もうと遅刻しようと誰も何も言わない。

・礼拝で行う献金は、「義務」ではなく「権利」であり、自由意志。

何のしばり(義務)もなく、ただ、イエス様を救い主と信じる者たちが主の前に重荷を下ろしに集まるのである。

 

信者同士を「兄弟姉妹」と言い合う。これは聖書のなかでもそうだが、男性を「兄弟」、女性を「姉妹」と呼ぶ。それはエス様を頭として数珠(じゅず)のようにつながる関係で、年齢も職業も関係ない。この世とはかけ離れた世界だった。礼拝は多くの信者であふれていた。

私が追い出されることになった教会は、幼稚園ママだった◆の家で近所だったが、キリスト集会は電車を乗り継ぎ40分くらいかかった。それでも娘達はついてきたのである。これが逆だったら、キリスト集会が先だったら、娘達はついてこなかった気がする。というより、私自身が通えなかっただろう。

自転車で5分、強烈ではあったが「イエス様の愛は絶対服従の愛」を貫く◆一家の信仰は見上げるものだった。バイブルスタディが抜群に面白く、私は虜(とりこ)になった。繰り返すが、色々と疑問に思うところはあっても、自分からここを抜け出すことはできなかった。今から思えば、私が「信仰的姦淫」を犯して追い出されたのは主のご計画だった。あそこで学ぶべきことはすべて学び、娘達と次のところへ移された。

コロナ禍前まで、私はキリスト集会の礼拝に通っていた。娘達は中学受験頃から集わなくなり、思春期もあってイエス様から離れてしまったが、これはベック宣教師によると「自然なことで成長」らしい。また戻ってくると。

娘達の信仰はよくわからないが、押しつけるものではないし祈るだけである。そうしてzoom礼拝に出ていた私だが、来月から礼拝に出ようと思っている。ちなみに、◆の家はコロナ禍に取り壊されて更地になっている。

ちょうど、長かったがんの治療も4月で終わる。

 

「主のなさることは、すべて時にかなって美しい」

(伝道者の書3‐11)

 

私が集うキリスト集会は、まさに、主が私を最善の場所に置かれた、と実感している。キリスト集会は国内・海外にも展開している。

キリスト集会のご案内 (christ-shukai.net)