「がん」という冒険(78)
このブログの熱心な読者(がいたとすれば)なら、あるいは、
あの着物の着付け教室は続いているのだろうか?
と思われる人がいるかもしれない。
去る6月6日に乳がんの手術を終えた私は8日に退院し、7月12日にネット検索した💮着付け教室を訪問し、即日入会を決めた。
翌月には双子の娘達の姉、αも通うようになり、なんとαの方は、
人に着物を着付けるプロコースに進んだのである。
こうして、私は一般コース、αはプロコースに今も通っている。
予約フリータイム制、期限なしの、
覚えるまで責任もって教えます。(前払い制の習い放題)
(≧▽≦)(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(≧▽≦)(*^^)v( ^^)
この教室では、お太鼓の帯結びから教わり、それから着物に移る。
私は、ようやくのこと帯結びを終わり、着物の着方を習うことになった。
帯もそうだが、着物を着るにも、下着の類や道具や技(わざ)がいる。
こんな面倒なものを昔は日常的に女は着たというのだから、信じられない。
それはそうとして、この教室のモットーが、
ゆ~っくり覚えればいいのよ~(^。^)y-.。o○
というようなもので、全くストレスがない。
日常から離れ、和の時間に身を置く。
そしてこの日は、お稽古中に◆先生の方から
「放射線治療は終わったんですか?」
と不意に聞かれた。がんの話はしてあった。
◆先生の母親で学院長の★先生が十年ほど前に子宮頸がんが見つかったこともあり、しばらく「がん話」になった。私は、この時とばかりに、がんになってから「喜び」と「感謝」の連続であり、がん宣告に動じることもなかったことを証(あか)しした。
(業界用語で、イエス様とどのようにして出会ったか、また、イエス様から与えられた恵みについて話すことを「証しする」という)
人はよく「運命」とか「運命的」という。
「運命」とは「命を運ぶ」と書く。
ふとしたきっかけから、あるいは必然的に、良くも悪くも人生を左右するような出会いを人は人生に何度か経験するのではなかろうか。
「人生を左右する」とは大げさだが、私が💮教室と出会ったのは、ある種、運命的だと思っている。それは、着付けを習いながら、
・この教室でなければ、到底私は、着付けをマスターするどころか、落ちこぼれ、挫折し、着物に興味などもてなかった、と確信する。
・私ばかりか娘のαが通い出し、先生と意気投合。プロコースに進んで積極的に学んでいる。教室の若い生徒同士で交わりもでき、楽しそうである。
・💮教室自体がアナログ的な昭和の雰囲気で、家族的。私もαも新しい居場所ができたように感じている。
・住まいからも近く(自転車で15分)、浴衣(ゆかた)や着物を気軽に(無料で)着せてもらえる。
この教室に通うようになって、見上げるくらいに高かった着物のハードルが、とても低く、興味や親しみをもてるようになった。
私が着付けを習うことになったきっかけは、簡単に言えば、実母も義母も着物をたくさんもってはいるが着なくなり、
受け継ぐ人もなくタンスの肥やし。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
忘れもしない今年の春頃、義母が、しつけ糸のかかったまま(まだ着たことがない)着物を手に取り、
「棺桶に入れてもらおうと思ってたけど、令子さん着てよ」
これはまるで、遺言のようではないか(一一")
がんの手術を前にしていたから退院したら習おうかと、祈り始めた。退院して、熱心に祈り続けた。
着付け教室に通うことが御心(主の思い)なら開いてください。御心でないなら閉じてください。
最善の教室に導いてください。
教室をネット検索して「無料体験」は、どこでもやっていた。💮教室は場所が近いことと、「ぶきっちょさんでも大丈夫」というのが気になって、予約した。
一発目で他は当たらずに決めたのは、マンツーマンで「習い放題」、先生が下町の肝っ玉母さん風なところに安心感がもてた。
そうして、この選択は大正解だった。主が私のために用意されたとしか思えなかった。なんと、40年の歴史ある教室だが、ここへ引っ越してきたのは今年の2月というのだ。
今日も89歳の★先生から、
「誰でもできるようになります。どんな人でも、出来なかった人はいません」
と繰り返されて、だんだん情けない気持ちになったのだが、へこたれない。
帯結びは、「作り帯」といって、出来上がったものをつけるだけの帯もある。
また「プロコース」で人を着付ける稽古をしている娘がいるのだから、何のことはない。
もはや、「教養のひとつ」の境地で着付けに通っている(≧▽≦)
詳しくは「がん」という冒険(59) 2022・8・20
(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○(*^^)v( ^^) _旦~~(^0_0^)(^。^)y-.。o○