過去が塗り替わる(2)
「過去」というのは不思議だ。
「過去」というより「過去の記憶」というものか。
「覚えて(残って)いる過去」と「忘れて(消えて)いる過去」。
ふいに「思い出す(よみがえる)」過去もある。
良くも悪くも「忘れられない(消えない)過去」というのもある。
前途の見えない娘達の受験に苦しみながら、自分の受験時代を思い出した。
それは、あぶり出しのように滲み出てきた。
私も娘達同様、国公立は受験せず、私学専願だった。
集中力がなく、睡魔との闘いだったところも似ている。
違うところは、私が受験「地獄」を経験したことか?
私は関西の出身で、当時、関西には関東でいうところの「六大学」(今ならMARCH)に匹敵する「関関同立」というものがあった。
関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の4大学で、関西でいうところの有名私立大学である。
従って、同じ高校から東京の私学を受験した学生はほとんどいなかった。
私が関関同立とMARCH+α、全10大学を受験したのは、
下手な鉄砲も数打ちゃ当たる
といえば冗談のように聞こえるが、
滑り止めなし=背水の陣
だった。
模試の合格判定は最後まで5段階評価の「D」か「E 」。合格したところで行く気のない大学で「C」をもらった記憶はある。
両親は私の大学受験に無関心だったし、すべて私の主導だった。
プライドではなく向上心。どこも受からなければ浪人するしかなかった。
18歳の自分……。
当時の覚悟を思い出せば、今でも息が詰まりそうになる。
そうして、「過去」から「現在」に戻れば、
勉強している時間より寝ている時間の方が長い受験生の娘達がいる。
「覚悟」どころか受験生の「自覚」さえ見当たらない。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
そうして、本題はここからなのである。
東京の大学を6大学受験した私は、2度東京へ行ったのである。(受験日にインターバルがあった)
最初は当時、立命館大学の学生だった兄に付き添ってもらい、2度目は単身で新幹線に乗った。
何を言いたいかというと、
受験の最中、私が高校の友達に頼まれもしないお土産を買った。
ということ。
1人や2人ではない。それも、
原宿で「原宿村」とプリントされたTシャツや「HARAJUKU」のロゴの入ったペンダント、そのペンダントヘッドには(原宿通りで販売していたお兄さんに頼んで)友達の名前を彫って入れてもらった。ちなみに「JUNKO」。
こんな記憶が鮮やかによみがえったのである。
男子には買わなかったと思う。気心の知れた友達に、友達の顔を一人ひとり思い浮かべながら土産を選んだ。
どうして、あんなことが出来たのだろう???
父から小遣いは多めにもらっていたから、お金の心配はなかった。
もちろん、東京土産を買って自慢したいわけでは毛頭ない。
自分のために特に何を買った記憶もない。
友達の喜ぶ顔が見たかった。
邪念がなかった。無邪気なものである。
そんな18の自分が……愛しい。
ええ子やってなぁ。
それは、晴れがましい思いだった。
そうして思った。
東京の大学、受かったからよかったものの、全滅してたら……
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
当時は、そんなこと考えもしなかったのだろう。(全滅しないと思っていたわけでは全くない)
まさかのまさかで合格をもらえたのは、主の憐れみだったのか…?
大学受験の最中、友達への土産を真剣に選んでいる自分というのは……
滑稽でもあり、愛しくもあった。
そんな自分を思い出せたことを、主に感謝した。