過去が塗り替わる(1)
高校3年生の娘達(双子)は、途方もなく手がかかった。
ひと言で言えば、
自分のことを自分でしない。
「しない」のか「できない」のかはわからない。
帰宅して、制服を脱いでハンガーにかけて壁に吊るす。
弁当箱を洗う。
ゴミをゴミ箱に捨てる。
遅くとも、私が中学入学以来から言い続けたことだが、
ついに、できなかった。
毎日、弁当を作るのに、
「弁当箱を(洗うどころか)出さない」
ことで、どれほどエネルギーを消耗したことか。
「弁当箱出さないと弁当作らないよ」
と言っても効き目はなかった。
途方に暮れた。
これしきのこともできない(やらない)のだから、後は推して知るべし…である。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
娘達のほかに子どもはなく、比べる子どものない私は、
当時の自分を思い出した。
私の母は(私と違って)怖い人で、私は母の顔色をうかがいながら生活していた。
もちろん、帰宅すれば制服はハンガーにかけて壁に吊るしたし、弁当箱だって洗っただろう。(覚えていないが)
高3の夏休み、私は母方の伯母の家に居候した。
実家は兄弟も多く(私は4人兄弟で親は受験生に対する配慮もなく)勉強に集中できないと、私は、50代で一人暮らしの伯母のところに転がり込んだのである。
なんという、賢い選択だろう。
その伯母に特に可愛がられていたわけでもない。
誰に言われたわけでもなく、自分で考えたのである。
そうしてスタートした伯母との同居は、大正解であった。
仕事していた伯母は、朝に出勤し夕方には帰宅する。
私は誰に言われたわけでもなく、中学の「調理実習カード」を荷物に詰め、それを元に食事を作り、帰宅する伯母と夕食をともにしたのである。
実家でろくに料理したこともない私は、大した料理ができようはずもない。
それでも、伯母は喜んで、楽しい団欒の時を過ごしたように思う。
どうして、18歳の私にあんなことができたのか…。
賢い子やってんなぁ……と感心するばかりである。
そうして、伯母はおしゃべりであった。
当時、私が母から聞いていたのは、「伯母ちゃんは無口」であった。
それが、伯母はいくらでも、際限なくしゃべる。
私は聞くしかない。相槌(あいづち)は無論、気の利いた合いの手も打つ。
結果、「聞き上手」と言われた。
当時の伯母の年齢になった私は、しみじみ思う。
高校生の姪が作ってくれた夕食が、どれほど嬉しいか。
50代独身で、一人暮らしだった伯母は、どれほど「言いたいこと」がたまっていたか。
そればかりではない。
伯母がスーパーで「コーヒーゼリー」を買って食べる、と聞いた18の私は、
ゼラチンを買って、コーヒーゼリーを作った。
のである。
大したことではない。けれど、伯母の感動は相当なものではなかったか…と今、改めて思う。
どうして、18の私に、そんなことができたのか…?
わからない。
夏休みが終わり、私は実家に帰った。私がいなくなり、伯母は喪失感に襲われたらしい。(私は無事、大学に合格する)
ちなみに、翌年、年子の弟が私の例にならい、夏休みに伯母の家に居候した。
しかし、それは、
「庇(ひさし)を貸して母屋取られる」
という状態のようで、伯母は居心地悪かったらしい。(弟は大学に不合格)
そんなことを振り返る。