見よ。わたしは新しいことをする。(4)
楽になった。
嘘のように楽になった。
「一を聞いて十を知る」
ということわざがある。
飲み込みが早い、利発ということ。逆に、
「一から十まで」
という言い回しがある。
「一から十まで説明しないとわからない」
というような、飲み込みが悪い、愚鈍(ぐどん)、トロい……。
娘達の場合、
「一から十二か十三まで……」
とよく思った。
模擬試験を受けるのに、
遅刻しないかどうか…(試験場に無事、到着できるか)
から始まる。
一緒に外出しようとすると、
あれがない、これがない。
トイレ~
段取り悪くて恐ろしいほど時間がかかる。
出かけるまでに三苦労くらいあって、ほとほとに疲れる。
スタート地点(基点)が違うのである。
2人とも人間に興味はなく、親しい友達もできなかった。
αなど、3年間クラス替えなしだったにもかかわらず、
クラスメイトの名前をろくに覚えていない。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
そんなわけで、子育てについて、人並みでない苦労を経験したのではないかと思う。
(担任の先生方にも、人並みでないご苦労をおかけした)
そんな過去を振り返る。
それはもう「過去」というトンネルで、今や、
娘達は私の手を離れた。
それぞれに、それぞれの道を歩んでいる。
そうして、トンネルを抜けてみると、
自分が味わった忍耐や苦労が、自分を育ててくれたように感じる。
娘達があたりまえに成長していたら、とてもつまらない人生だったのではないか。
そんなふうに思えた。
そして、
私が忍耐できる「備え」を、主が節々に用意してくださった。
ことを感じる。
一日一日、主の励ましと癒し、なぐさめ…
が与えられたのである。
それはもう、飢え乾いた極限状態にある者に、一筋の水が与えられたようなものだが、
一筋の水で生き返る
ことができるのである。
生き返っては感謝し、祈る。また落ち込み、生き返って感謝し、祈る…。
そんな繰り返しだった。
主との関係は密になった。
私の思いは捨てた。ただ、ひたすらに祈り続けたのは、
娘達の最善の道を主が整え、拓(ひら)いてくださいますように……
と祈り続け、その祈りは、確かに聞かれていることを実感する。