見よ。わたしは新しいことをする。(3)
1年の半分が過ぎた。
私は「3年日記」というものをつけている。
去年購入したもので、日記を書く度、去年の今日、何を書いたか知ることができる。
家庭教師と(リモートで)勉強の約束だったのが、2人とも寝ていたり、
高校での春休みの(私学なので有料)講習の申し込みをαが珍しく忘れずに私に申し出て、(いつもは、申し込みの締め切りがすんでから、申込用紙を私が見つける、というパターン)喜んだら、
申し込み用紙(とお金)を提出するのを忘れた。
というようなことが書かれてあった。そうそう、3人で回転寿司食べながら、それを知って、私は地団駄踏んだのであった。
受験生でありながらβは高校から帰宅すると、夕食も入浴もせず、翌朝まで寝続ける…ということもしばしばで、その上、
翌朝も遅刻。
学校のない土日、2人とも午後まで寝てるのはあたりまえ、いつも、いつ起こすか(起こさないか)迷うのだった。昼頃になって、
たとえば、αに「新聞取ってきて」、βに「洗濯物干して」と2人を無理やり起こす。
すると、
αは、マンション1階の郵便受けから新聞取ってきて、
寝る。
ベランダで洗濯物干してるはずのβは、
座り込んでスマホしてる。
\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?
という日常であった。
2人とも食べることは好きなので、食事でつろうとしても、
たらふく食って、寝る。
「過剰睡眠」については悩み続け、(一泊)検査も受けたが、
2人とも「異常なし」。
「異常なし」で喜ぶどころか途方に暮れた。
……漠然と「大変だった」ということが、日記を読みながら具体的に、つぶさによみがえる。
感情的になったαが泣き叫び、通報を受けた警察の訪問を受けたこともあった。
それでも、どちらも受験生だから、
そのうち、お尻に火がついたらやるだろう。
という期待も虚しく、迎えた今年の新年であった。
コロナで受験どころでなくなるのではないか…。
ということに、唯一、希望をつないでいたような気もする。
夫も交え、家族総がかりで受験手続きを行い、受験(試験場に付き添った)した。
試験を受ける以外は、すべて親がかりだった。
受験を終えた私は思ったものだ。
主に叫んだ。
この一年を、もう一度やれ、といわれても無理です。
初めてだから、何もわからないから、耐えられた。耐えるしかなかった。
(あの苦しみを知ったからには)二度目は無理……。
私が考えたのは、
一人旅。
とか、
家出(ウィクリーマンション)。
今から思えば、限界だったのだ。