見よ。わたしは新しい事をする。(2)

今、高校時代、年間70回の遅刻を記録した(普通の高校なら留年、もしくは退学であろう)娘βは大学生となり、毎日、自分で起きて大学に通っている。

私が起きると、既に出かけていることも多く、

(卒業式の日まで遅刻寸前で、朝食食べられず、卒業祝いの紅白饅頭を食べた)あれは何だったのか?

毎日のようにある大学のレポートや課題も、真面目に取り組んでいる。

(高校時代、生物の課題出さなくて、進級できない危機に見舞われた。夏休みの課題も当然、やらない)あれは何だったのか?

娘βの高校時代の担任は3年間同じだったのだが、彼が今のβを見たら、

驚く以上に憤(いきどお)るのではないか。

なんだ、やればできるんじゃない!?

と……。

卒業式の日、βは担任に卒業祝いの紅白饅頭を食べてもいいか、と聞いたらしい。聞かれた担任も困ったに違いない。彼の教員歴に、βの名は確実に刻印されたことだろう。

\(゜ロ\)ココハドコ? (/ロ゜)/アタシハダアレ?

また、大学に合格しながら入学できず、浪人することになった(双子のβの姉)αは、

高校1年から数学ができず、(個別指導にも通わせたが)それで進級できないかもしれないほどだった。

にもかかわらず、(周囲の反対を押し切って)理系に進むと言い張り、高3は理系クラスになった。

数学不調は続き、高3の2学期、中間試験が6点(100点満点)、期末で50点くらい取らないと受験どころか留年になる、と担任から言われたにもかかわらず、

期末テスト……0点。

夫も私も留年を覚悟した。それが、担任の尽力(高校側としてもコロナ禍のなか、留年生というのはお荷物だろう)により、卒業できることとなった。

そんなαの大学合格(数学は受験科目にはない)は、担任もびっくり仰天だった。

αにとっては、大学へ行きたい思いも特にないが、「合格=めでたい」モードだったのだろう。

それが……αの大学入学への道が閉ざされ(過去ブログ参照)、妹βが大学生となった。

αが変えられた。

今、αは理系から文系へと変わり、浪人生活を送っている。

勉強は家庭教師に任せ、私はかまわないことにした。

何とかなりそう……な気配(だけ?)。

娘達の最善の道を……

と祈り続けてきたから、それが聞かれたのだと思う。

娘達は変えられた。

私たちの新しい歴史が始まった。